港南の歴史伝承にむけて

貞昌院の位置する港南区上永谷は、明治以前は鎌倉郡の中にありました。
その変遷は

鎌倉郡永野村 ⇒ 横浜市中区(昭和11年10月1日編入) ⇒ 横浜市南区(昭和18年12月1日分割) ⇒ 横浜市港南区(昭和44年10月1日分割)

というように推移しています。

詳細は 鎌倉郡から横浜市へ をご参照下さい。

港南区は、昭和44年10月1日に南区から分割され、再来年(平成21年)には区制40周年を迎えます。
そこで、歴史連絡会(仮称)では、「私たちの街の歴史(生い立ち)の伝承へ向けて」をテーマに活動を行っています。(私は9月から参加させていただいております)
昨日は港南副区長様を交えて各区の歴史資料の事例を踏まえ、研究を行いました。

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主な活動内容は
(1) 港南区歴史資料保存館設置                
(2)港南区内の文化財、史跡の標記
(3)港南の歴史」改訂版:・港南区発足以降の港南区近代史発行
などのほか
区内に散在、保存されている資料の整理、デジタルアーカイブ化を如何に進めるかなどをテーマに考えています。


港南区は相模国と武蔵国の境界(武装国境)がほぼ真ん中を走り、鎌倉道も通る歴史的に重要な場所です。
しかし、最近の宅地化の進展により造成が盛んに行われてしまい、地形もだいぶ変わってしまいました。
幹線道路はかつての古道を飲み込み、道路辻に祀られている石仏も移転が余儀なくされています。
各家庭に伝わる農機具や貴重な家財も処分されてしまうことも多くなっています。

港南区の歴史をいかに伝承していくかが重要な課題となっています。


おしらせ

こうなん技術遺産「捺染(なっせん)」 伝統地場産業
『ヨコハマスカーフ』
日時 11月17日(土)10:30-12:30
場所 港南台タウンカフェ
ゲスト (株)滝沢捺染 様
参加費 500円 (資料代、お茶代)
主催 港南百景アーカイブ会  協力 まちづくりフォーラム港南

なお、11月5日?11月30日まで、同会場でパネル展示と捺染の紹介を行っています。
参加申込 港南台タウンカフェ


港南区の「まち自慢」大募集!

子どもたちに「ふるさと港南」として伝え残していきたい、区内のちょっといいなと思う風景や活動を教えてください!

「まち自慢」ってなあに?ーふるさと港南の魅力を再発見する取り組みですー
 港南区は、2009年に40回目の誕生日を迎えます。
 「まち自慢」は、これまで育まれてきた港南のまちの魅力を、このまちに暮らすみんなで確認していくことで、「ふるさと」として愛着と親しみを深めていくための取り組みです。
 応募していただいた「まち自慢」は、2008年3月までに「まち自慢検討委員会」でとりまとめます。今後、港南区らしいまちづくりを進めていく手がかりや、まちで暮らすみなさん自身が身近なまちの魅力を守り育てていくきっかけとして活かしていきます。


■応募テーマ
下記6分野(※お1人何件でも応募できます。)
 ?自然、まちなみ ?史跡 ?伝統行事 ?市民活動 ?名店・名品 ?その他
※あなたが自身がちょっと素敵と思う、身近な風景などをご気軽にご応募ください!

■応募対象者
港南区に在住・在勤・在学の方

■応募期間
平成20年1月7日(月)まで

■資料ページ
港南区ホームページ「ふるさと港南 博学・雑学事典」


■応募・問い合わせ先
港南区区政推進課企画調整係
 〒233-0004 港南区港南中央通10?1
 電話:045-847-8319  FAX:045-846-2483

投稿者: kameno 日時: 2007年11月 7日 08:06

コメント: 港南の歴史伝承にむけて

私は転勤族ですが、港南区に昭和45年4月から52年3月まで住んでいました。横浜駅から始発の東横線で通いましたので、霞ヶ関まで通勤時間1時間40分でした。
 30歳代の充実した年代でしたので港南区にはとても愛着を感じます。
 また貞昌院さまのブログは私の好きな物理や数学関係の記事もありますので、とても楽しく拝読させていただいています。

 今後とも何卒よろしくお願いします。

投稿者 zazen256 | 2007年11月 8日 05:44

zazen256さん
上永谷に駅が開通して丸山台が造成された頃までお住まいだったのですね。
私も通学通勤は東横線を使いました。
地下鉄で桜木町まで出て、そこから渋谷まで東横線。
どちらも始発ですから座っていくことができました。
理系技術職にどっぷり浸かった時代ですが、今それがとても役に立っております。
こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

投稿者 kameno | 2007年11月 8日 07:04

港南区誕生の昭和44年当時は当に野庭団地、港南台団地の他、現在の野村港南台、丸山台、日限山等の戸建住宅地の宅地造成が行なわれていた時期でした。現在港南区には23万人の人達が生活をしていますが、その2/3は港南区誕生後に現在地にお住まいになられた方々です。港南区は昔相模の国と武蔵の国に2分をし、その真ん中に武相国境があり、鎌倉に近い為に「いざ鎌倉へ」の「かまくら道」が南北に通っており、宅地造成等で地形は変わってはいますが、現在尚その痕跡を残しています。私達の住む街の歴史を世代を越えて後世へ継承をしていくためにも、現在残されている資料全てを、新しいITのツ?ルを活用してデジタル化し、皆さんが活用出来る様に整理・保管・管理を続けていく事を、市民力を活用して行いたいと思います。皆様のご協力をお願い致します。

投稿者 茅野眞一 | 2007年11月 9日 10:33

茅野さん
昭和40年代の宅地造成によって港南区の姿は一変してしまいましたね。
相模国と武蔵国の国境(武相国境)は、降った雨が東京湾に注ぎ込む流域が武蔵国、相模湾に注ぎ込む流域が相模国というように、分水嶺が国境であるはずなのですが・・・宅地化に伴い、現在はその見る影もなくなりつつあります。
今がその資料作りの最後のチャンスなのだと思います。

投稿者 kameno | 2007年11月 9日 23:50

最近、上大岡駅周辺に引っ越してまいりました。
なんでも揃う便利な街、ということでこの場所を選び、住み心地には大変満足しておりました。

この夏休み、子供の学校の社会(地理)の先生から「自分の住む街を調べる」という課題が出され、いろいろと調べていくうちにKameno様のHPに出会いました。

これまでまったく知らなかった港南区の歴史、地理的特徴や重要性を知ることができました。非常に分かりやすく、勉強になりました。

私の家の近くにも「文化9年」と書かれた庚申塔が残されています。「新しい街」というイメージが強かったですが、200年前からあるその石碑を見て、もっとこの街について知りたいなと感じました。


これからも、私のような新しい住人もこの地区に愛着や誇りを感じ続けていけるように、歴史伝承活動を頑張ってください。


ありがとうございました。

投稿者 BJ | 2009年8月 3日 21:29

BJ様
コメント有難うございます。
上大岡の周辺も戦後まもなくまでは田んぼが広がる地区でした。
しかし、鎌倉へ続く街道沿いにあることから集落の歴史もあり、調べていくと興味深いことがたくさん見えてきます。
また、近々新しい動きもありますので楽しみにしていてください。

投稿者 kameno | 2009年8月 4日 09:56

BJ様
是非、港南歴史協議会のHPをご覧願います。
せっせと、港南区内の郷土史に関する、情報を掲載しています。上大岡周辺の情報は沢山掲載しています。
又、港南区民企画講座「こうなんの歴史」を毎月第2土曜日の午前中に開いています。(8月は夏休みですが・・・)
9月19日(土)には「当初は東海道線は鎌倉街道を通る計画だった!」を予定しています。現在の鎌倉街道を東海道線が通っていたらば、現在の「上大岡」とは、全く違っていたでしょう。

投稿者 ちのしんいち | 2009年8月 7日 01:03

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