友達の友達は皆友達 か?

鳩山法相のアルカイダ発言 野党追及強まる

鳩山法相が「私の友人の友人はアルカイダで、02年のインドネシア・バリ島の爆破事件に絡んでいた」などと発言したことに対し、野党側は31日の衆院法務委員会で法相を追及した。法相が情報を得た後で捜査当局などに伝えたかが焦点となり、法相は当時の自らの対応を詳細に調べて委員会に示す考えを示した。
(朝日新聞)



この報道の中で、法相の「アルカイダ」「爆破事件に絡んだ」などという発言の部分は問題ありかもしれませんが、それは置いておいて、「私の友人の友人は・・・・」ということについて興味深い仮設があります。

それは「六次の隔たり理論」です。 
簡単にいうと、自分を起点として、友人、友人の友人、友人の友人の友人・・・・というように友人を繫げていくと、6人の知人を介することにより世界中の誰とでも繋がることができるという理論なのです。
この仮設の下地になっているのが1967年にイェール大学の心理学者・スタンレー・ミルグラム教授により行われたスモールワールド実験です。
これはどういうものかというと、

(1)ネブラスカ州オマハの住人160人を無作為に選ぶ。
(2)選んだ人に「同封した写真の名前と住所をご存知でしたらその人(実はボストン在住のある人)の元へこの手紙をお送り下さい。知らない場合はあなたの住所氏名を書き加えた上で、あなたの友人の中で知っていそうな人にこの手紙を送って下さい」という文面の手紙を送る。
(3)最終的にそのボストン在住の人に到達した時に何名のリストが書かれているかを調べる。

というものです。
結果はどうなったかというと、160通中 42通が到達し、そこまでに記載された人数は6人弱であったという結果でした。

数学的に簡単に検証すると、例えば、ある人に10人の友だちがいるとして、その友だちもそれぞれ10人の友だちがいるとすと、単純計算で重複が無いとすると6人目の友だちでは 10,000,000人の間接的な知人がいることになります。
友だちがそれぞれ20人とすると・・・・30人とすると・・・・・それぞれ20の7乗、30の7乗・・・・・と、とてつもない数になります。

まあ、これはあくまでも平均ということ、理論上の話ですので、6人辿れば世界中の誰とでも繋がるということではないわけですが、非常に興味深い理論です。
SNSなどの存在意義というのは、このような理論が下地になっているのです。

蛇足ですが、もし、mixiをやられている方は、自分のマイミク一覧の一番最後に出てくる人をクリック、以下、マイミク一覧の最後の人をクリックしていってみていってください。
(mixiのマイミク一覧はidの逆順に並んでいます)
6人程度でid=1・・・mixiの開発者の方に辿りつくはずです。


私たちは、日常生活の中で様々なグループに属し、また、様々な友人知人家族などと交流しています。

人間関係の距離間の遠近、関係の深い浅いはあるにせよ、何らかの形での情報交換がなされます。
しかし、いくら深い関係であっても相手のすべての交流関係を把握することはできないでしょう(自分ですらも把握しきれていなかったりします)。
SNSは、このような人間同士の関係を可視化したことに大きな特徴があります。


 


この「六次の隔たり理論」の他に、SNSの基礎理論として興味深いものをあと2つほどご紹介します。

まずは社会学者マーク・グラノベターの「弱い紐帯の力」理論です。

kizuna.gif


私たちの社会は、強く太い絆(図中の赤い線)で結ばれた「仲間やごく親しい友人」と、その「仲間やごく親しい友人」を結ぶ弱い絆(図中の緑の線)で成り立っています。
弱い連結は、強い紐帯で結ばれた仲間やごく親しい友人よりも、さまざまな社会活動の上で、ある時に、ある人にとって決定的かつ重要な役割を果たします。

逆に言うと、強い紐帯で結ばれた仲間やごく親しい友人は、行動を共にしているがゆえに思考や行動様式が似通ってしまうし、情報も固定的になってしまい、保守的な考えに陥りがちです。もちろん、精神的な安心感にとってはプラスにはなりますが、なにかの節目においてはきっかけを失いマイナスになるかもしれません。
このように、弱い連結は、異なる世界からの情報源であるがゆえに、直接関係のある仲間やごく親しい友人よりも強い影響や成果を生みだしやすいという理論です。



 


もう一つは「ハブとコネクターの複雑系理論」。
人はそれぞれ、自然にハブとコネクターに相当する人を中心に組織化し、コミュニティを形成するという理論です。
ある組織の中で、友人・知人を作るのに長けている人がいると、その人はコネクターとしての役割を果たしていきます。
このように、コネクターは多くのリンク(繋がり)を張るノード(個人)であります。わかりやすい表現では、アプローチしたい誰かにアクセスしたいとき、その誰かまたはその誰かに近い人を知っていそうな人という表現ができます。
コネクターは、例えば企画を創りあげ、それを実行へ移す牽引的な役割のように、ネットワークの中で非常に重要な存在です。コネクターには多数の情報が集まり、ネットワークの財産は、その特定の人に帰属集中することにより、世界はより小さく繋がっていくのです。

先の「六次の隔たり理論」では遍く友人の数が同一であると仮定した計算を行いましたが、コネクターの存在により繋がりの世界がより小さくなっていくということは想像に難くありません。

 
これも蛇足ですが、身近な例を用いると、おそらく、曹洞宗僧侶のネットワークの中では、知人を3人ほど辿ればどこにでも行き渡るのではないでしょうか。
驚くほど狭い世界なのですが、それゆえに僧侶というのは、一般社会の中では、人同志を結びつけるハブやコネクターとしての役割を果たしている(果たす可能性を持っている)といえるのかも知れませんね。

kizuna3.gif
参考図:左下と右下の一般の人同士が僧侶を介することにより少ないノードで繋がった。
曹洞宗僧侶集団を例にとりましたが、他宗派でも、異業種(先生、医者など)でもいっこうに構いません。



■関連図書

新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く
著者/訳者名 アルバート=ラズロ・バラバシ/著 青木薫/訳
出版社名 日本放送出版協会 (ISBN:4-14-080743-1)


早わかり 図解&実例 よくわかる!ソーシャル・ネットワーキング (単行本)
山崎 秀夫 (著), 山田 政弘 (著)

投稿者: kameno 日時: 2007年11月 6日 01:29

コメント: 友達の友達は皆友達 か?

ここで説明されている理論を興味深く読ませて頂きました。
コミュニケーション論や流通論は、今少し組織論と併せて考えられてよいように思いました。
1960年代の後半から1970年代の前半に提唱されていた自由連合論なども再評価されてもよい様に思います。

投稿者 マレーネの父親 | 2009年5月 4日 00:08

マレーネの父親さん
コメント有難うございます。
この日の記事では「六次の隔たり理論」「弱い紐帯の力」「ハブとコネクターの複雑系理論」について見て行きましたが、今後はさらに他の理論からの考察も行ってみたいと思います。

投稿者 kameno | 2009年5月 4日 09:20

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