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二〇〇七年三月の能登半島地震で被災し、修復工事に取り組んでいる輪島市門前町の総持寺祖院で十五日、国登録有形文化財の山門を持ち上げる工事が始まった。地震から十年を迎える二十五日にはレールを敷き、山門の下部にローラーを付けて約二十メートル後ろにずらす曳家(ひきや)工法の作業を公開する。
地震で山門の土台をはじめ屋根などが被災し、沈下している。今回は山門を移動させて、基礎地盤の耐震工事を施した後、六月ごろに再度、元の位置に戻して全体を修復する。事業費は約三億二千万円。
この日は、山門の土台部分に十六本の鉄骨を入れ、屋根や天井などの間を百六十本の丸太で支えて、三センチ持ち上げた。十六日は五十センチ持ち上げる。後ろにずらすために必要なローラーの取り付け作業は十七日から実施する。
一九三二(昭和七)年に建てられた山門は、総ケヤキ造り、二階建ての二重門。高さは五階建てビルに相当する約十八メートルあり、幅約十九メートル、奥行き約十四メートルで、重量は約二百トン。
総持寺祖院は、地震で約三十棟の建物などが被害を受けた。震災復興工事は、〇八年度から取り組んでいる。最も大きい建物である大祖堂(法堂)は一四年度に修復された。仏殿や放光堂(納骨堂)、事務所などがある香積台(こうしゃくだい)など、全ての工事が完了するのは二〇年度の予定。総事業費は約四十億円。
祖院の施設管理を担当する直歳(しっすい)の藤井博道さん(64)は「復興から十年という節目に山門の工事となり、感激している。これも地元住民や檀(だん)信徒の協力のおかげです」と感慨深そうに作業を見つめていた。
(中日新聞2017年3月16日)
今からちょう10年前、輪島市を中心に発生した能登地震で甚大な被害を受けた總持寺祖院の伽藍修復工事の一つとして、山門の地盤を補強するために山門を曳家で移動させる工事が行われました。
山門をそのまま曳家により1時間で20メートル移動させました。この曳家という技術は、日本で培われてきた誇るべき伝統技術です。
地盤工事は今年6月まで行われ、完了後に再び元の場所に戻されます。
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↓写真は能登地震が発生した 2007年に拝登した際に撮影したも山門。
総持寺祖院の山門は国登録有形文化財であり、総重量は200トンあります。
能登地震の被害は大きく、仏殿、放光堂、香積台など、まだまだ全体の修復までには時間がかかります。
夏には山門が元の場所に戻されるということですので、その日が楽しみです。