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今回の研修旅行の途中、田老から宮古の間の三陸鉄道を利用させていただきました。
東日本大震災発生から僅か5日目の3月16日に、三陸鉄道はいち早く久慈―陸中野田間を運転再開。そして3月20日には宮古―田老間の運転が再開しています。
そこには、鉄道運行に従事される多くの方々の並々ならぬ熱意がありました。
復旧区間では信号が使えなかったため、よほどのことがない限り使われない指導通信式が採用されたそうです。
地域のための鉄道という、その責務を十分に果たしていると感じます。
地域の復旧復興には、鉄道路線の復活は大きな原動力になるものです。
■三陸鉄道の復旧の歩み
2011年(平成23年) 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震により北リアス線、南リアス線とも全線不通。
3月16日 - 北リアス線 陸中野田 - 久慈間の運転が再開。同区間で復興支援列車の運転が開始され、3月31日まで運賃無料。
3月20日 - 北リアス線 宮古 - 田老間の運転が再開。
3月29日 - 北リアス線 田老 - 小本間の運転が再開。
11月 - 北リアス線の陸中野田 - 野田玉川間の復旧工事に着手。
2012年(平成24年)4月1日 - 北リアス線 田野畑 - 陸中野田間の運転が再開。
2013年(平成25年)4月 - 南リアス線 盛 - 吉浜間運転再開予定。
2014年(平成26年)4月 - 北リアス線・南リアス線全線再開予定。
田老駅は、田老の集落を見渡すことができる高台にあります。
宮古行きの車両がやってきました。
やはり電車は快適です。
普段なら閑古鳥が鳴く三陸鉄道・宮古駅。だが、発車10分前の改札口には、すでに20人を超える客が並んでいた。
「ありがとねー」。年配の女性が改札口にいた駅員へこう声をかけた。他の客も口々に駅員に感謝の言葉をかけながら列車に乗り込んでいく。3月29日12時45分。37人を乗せた運賃無料の「災害復興支援列車」は宮古駅を出発した。運賃収入よりも地域の役に立ちたい
三陸鉄道は宮古―久慈間を走る北リアス線と、釜石―盛間をつなぐ南リアス線の2路線を抱える。1984年の開業時は全国から観光客や鉄道ファンが押し寄せ、5年目黒字化の計画が、初年度でいきなり経常黒字。幸先よいスタートを切った。しかし、乗車人員は年々落ち込む一方。収支も開業10年にして経常赤字に転落。以後黒字に浮上することなく、現在に至っている。 もちろん赤字に手をこまぬいていたわけではない。各種イベント列車の運行からグッズ販売まで打てる手はすべて打った。2009年の「鉄道事業再構築実施計画」などのリストラも行い、ようやく光明が見えてきた矢先、今回の大津波が襲った。3月11日14時46分の地震発生当時、北リアス線では白井海岸―普代間を15人の乗客を乗せた列車が走っていた。南リアス線では吉浜―唐丹間にある鍬台トンネル内に2人の乗客を乗せた列車がいた。北リアス線を走っていた列車は安全確認の後、避難開始。乗客と運転士は本社から要請を受けた地元消防団に救出され、近くの避難所に送り届けられた。南リアス線のトンネル内にいた列車の乗客と運転士は、徒歩でトンネルを脱出して国道46号線に出たところ、たまたま通りかかった自動車に乗せてもらえ、避難所に送り届けられた。全員無事だった。
地震の翌日、望月正彦社長らは宮古駅から線路沿いに1キロメートル程度歩いてみた。「早期に復旧できる」。手応えを感じた望月社長は、翌13日には普代駅まで自動車で被害状況を見て回った。途中駅の田老の町の惨状を見た望月社長はこう思った。多くの人が家を流され、自動車を失ってしまった。ガソリンも入手困難だ。三陸鉄道は地域の生活の足となることを目的に設立された。今こそ、その使命を果たさないと──。
久慈側でも陸中野田まで歩いてみた運転士から被害軽微という報告があった。そこで、「全体の被害把握よりも復旧を優先しよう」と、決断。目視で被害が大きそうな区間の点検作業を後回しにして、復旧できそうな区間に全力を注いだ。地震のわずか5日後の16日、他の多くの路線が運転を見合わせる中、三陸鉄道はいち早く久慈―陸中野田間を運転再開させた。20日には宮古―田老間を再開。28日には宮古―小本間に運転区間が延びた。
車両基地が久慈側にあるため、宮古側で動かせる列車は地震当時、宮古駅に停車していた1両のみ。列車不足から1日3往復しか動かせない。それでもほかに交通手段がない人にとっては貴重な移動の足だ。赤字会社ゆえに運賃収入はのどから手が出るほど欲しいはず。だが、「今は運賃をもらうよりも地域に役立つことを優先したい」。運賃無料の復興支援列車はこうして生まれた(4月からは臨時割引運賃で運行)。途中駅で何人かの乗客が乗り降りしながら、13時25分、列車はゆっくりと田老駅に到着した。高台にあるホーム上に特段の変化はない。だが、眼下には、テレビや新聞で見たままの惨状が広がっていた。出口へ向かう通路からは、潮と土のにおいがした。津波で階段の踊り場まで土砂で埋まっていたという。単なる穴と化した出口から、市内で買った食料を抱えた地元住民や、避難所に物資を届けようとする人らが次々と現れた。出口前にはがれきをかき分けるように一本の道路が走っている。自衛隊員が急ごしらえで整備したものだ。彼らはその道を一直線に進んだ。そして、がれきの山の中に踏み込んでいった。(週刊東洋経済2011年4月16日号より)
ブログ記事 三陸鉄道被災レール で書いたとおり、昨年末の京浜急行大師線レール落札のご縁から、三陸鉄道の被災レールをお送りいただきました。
その後、何度かやり取りさせていただいて、ようやく三陸鉄道に乗ることが出来ました。
本社ビルにて。
三陸鉄道の未開通部分、南リアス線 盛 - 吉浜間は来年4月に運転再開予定。
そして、再来年、平成26年4月には、いよいよ三陸鉄道北・南リアス線全線再開予定となっています。
全線開通のあかつきには、ぜひ再び乗車してみたいと思います。