現今は四隣横浜市内となり、当地域は、港南区の南部に在りて、南方は、戸塚区鍛治ケ町、小菅ヶ谷町、西方より北方に亘りて、戸塚区舞岡町、柏尾町、平戸町、南区別所町、東方は港南区日野町、笹下町、大久保町に接す。
一、地勢
全域に亘り小丘起伏して、丘山は殆んど雑木林、所々に松杉の森林を見る。小丘の周に田畑の耕地介在其の間に、農家散在していた姿が、昭和三十年頃迄の状況、南北に長く、東西に狭く、南方より北方に極めて緩なる傾斜をなす。
一、土質
土質は大部分壌土にして就中、上野庭一帯は砂質壌土多く、下野庭及び永谷は、粘質壌土に富む、之れに次ぎて、腐植質土を交え、礫土は至って僅少なり
﹁注﹂右気温の情況は明治初年より大正末期頃迄の大体を示したもので、稀には意外に早く、若くは遅く現わるることあり、近時、次第に山林は姿を消し、家屋の密集、人口の増加に伴い、自然気温にも幾分変化をもたらすことも予想される。
一、風向
九月半ば以降は北寄増加して、翌年四月半ばに至る就中、十月より三月迄は其の特に卓越せるを見る。四月末より、五月は全く主風なく、六月猶同一状態なれども、南西の凡稍増加し、七、八月両月は、南寄の風卓越す、九月に入れば、北寄の風、次第に増加す。而して、北寄の風は一年中の約三分の二を占むるを常とす。
一、雨量︵月降雨量︶
春季に入りては両日の加わると共に雨量増加し、初春百二十粍以上、仲晩春は百五十粍以上に及ぶ。
夏季に入りては両日大いに減少すれども、雨量は特異の現象により、二百粍以上に及ぶことあり。
秋季に入りては、両日再び増加し、雨量は、二百六十粍を超ゆることあれども、仲秋晩秋に至りては、両日次第に減少し、従って雨量は、九十粍内外となる。
冬季に入りては両日は年間の最少となり、雨量も、六、七十粍となる。
一、動物界
当地域に棲息する動物の種頬、甚だ多し、明治、大正、昭和の中期頃の調査記録に基づき掲載す。現今は減少の一途をたどりつつある。
︵1︶家畜、家禽
1 食肉類 猫、犬
2 有蹄類 牛、馬、豚、山羊
3 鶏 類 鶏
4 遊禽類 家鴨︵あひる︶ 鵞鳥︵がちょう︶
︵2︶魚介
1 硬骨類 鯉、鮒、鯰︵なまづ︶、たなご
鰻︵うなぎ︶、泥鰌︵どじょう︶
2 胸甲類 蟹 ︵かに︶ 蝦 ︵えび︶
3 弁鰓類 蜆︵しじみ︶ 鳥貝
4 腹足類 田螺︵たにし︶
︵3︶益虫
1 鞘翅類 螢、紅娘︵てんとうむし︶
2 鱗翅類 蝶
3 膜翅類 蟻、蜂
4 脈翅類 蜻蛤
5 直翅額 蟷螂
6 蜘蛛類 蜘蛛
7 環虫類 蚯蚓
︵4︶害虫
1 鱗翅類 蛾
2 直翅類 蝗︵いなご︶
3 有吻類
︵5︶保護鳥
1 鳴禽類 燕、鴬、雲雀、百舌鳥、山雀、小雀
四十雀、鶺鴒︵せきれい︶、鮨鶴︵みそさざい︶
2 攀禽類 不如帰︵ほととぎす︶、木鳥︵きつつき︶
3 猛禽類 梟︵ふくろう︶、角鴟︵みみづく︶
4 鶏類 雉、山鳥、鶉
5 遊禽類 鴨、雁
︵6︶其他
1 食肉類 狐、狸︵たぬき︶、鼬︵いたち︶
2 食虫類 土竜︵もぐら︶
3 噛類 兎、鼠
4 翼手類 蝙蝠︵こうもり︶
5 猛禽類 鷹
﹁注﹂月夜によく静かな羽音を立てて、こうもりが庭先を舞い遊ぶ夏の夜の光景が偲ばれる。天神社の大杉の頂上に、雄然と鷹が、止っている情景がしばしば見られた。
6 鳩類 家鳩、山鳩
7 鳴禽類 雀、鶏︵ひよどり︶、懸巣、ひは、かわせみ
8 渉禽類 水鶏︵くいな︶、鴫︵しぎ︶
9 亀類 石亀
10 蜥蜴類 蜥蜴︵とかげ︶
11 蛇類 青大将、縞蛇、蝮蛇︵まむし︶、赤棟蛇︵やまかがし︶
﹁注﹂昭和四十年頃上永谷、丸山、奈良橋直三氏がまむしに攻まれ相当難儀されたことがあった。田植、田草取りに、まむしの為に苦しんだ農民の方、相当あった。
12 無尾類 蟇蛙︵ひきがえる︶、全線蛙︵とのさまがえる︶、雨蛙、山蛤、土蛤
13 有尾類 いもり
﹁注﹂山間の清水の湧出するところに良く見受く、赤い腹をして見るからに原始動物の状を呈す。﹁いもりに噛まれると雷音がなければ離さない﹂と、老人は子供に言い聞かせる。
14 鞘翅類 源五郎、水澄、米搗虫
15 二翅類 蚊、蝿、虻︵あぶ︶、蚤
16 脈翅類 蜉蝣︵かげろう︶
17 直翅類 蟋蟀、轡虫、飛蝗︵ばった︶、鈴虫、松虫、螻姑︵けら︶
﹁注﹂五、六年前迄、轡虫︵くつわむし︶鈴虫、松虫の声が夏の風物として楽しまれたが昨今殆んど耳にしないのが淋しい。
18 有吻類 鳴蜩︵あぶらぜみ︶、茅蜩︵ひぐらし︶、寒蝉︵つくつくばうし︶
﹁注﹂蝉類は精々減少しているのではないかと思われる位で、子供達を楽しませている。
19 多足類 百足、馬陸︵やすで︶
20 腹足類 蝸牛、蛞蝓︵なめくじ︶
﹁注﹂蝿牛が都会の子供に珍重がられて、市販にさえ出ている。当地区でも、子供の採集が年毎に盛んになり、次第に其の姿を消すのではなかろうか。
21、環虫類 蛭︵ひる︶
﹁注﹂蛭は太平洋戦争前後迄は、田植、除草には農民の誰もが常に悩まされた虫である。知らぬ中に足にたかり、血を吸う、かゆみを覚え見ると蛭が腹一杯血を吸って、丸くなっている。其の後アメリカえびの大繁殖と共にその餌食となり、また農薬でアメリカえびも生存できず、今日でほその姿はきわめて少なくなった。