曹洞宗 貞昌院 Teishoin Temple, Yokohama, Japan
24-26 Oct 2003 New Era,New Challenges with Sprit and Harmony
新しい時代へ 希望をこめて まごころと調和を
2003年、ハワイにおける曹洞宗は海外布教100年の区切りを迎えます。 曹洞宗ハワイ開教総監部を中心に組織された実行委員会により、2003年10月に記念祝賀行事が行われました。 SOTO禅インターナショナルでも、この行事に全面協力し、参加してまいりました。その行事の一端をご紹介いたします。 なお、この行事には日本から620名。ハワイから600名強、その他の地域を合わせて約1300名の参加がありました。 |
■歴史的背景 日本人のハワイ移民は、明治元年に150人が集団で入植したことを発端に、明治18年のハワイ王朝と日本政府の間で交わされた労働移民契約により本格化しました。 曹洞宗のハワイへの布教は、 徳川時代に政策的に統制・保護・画一化されてきた仏教各宗派の中において、仏教僧侶たちが新しい布教活動を模索している時代背景の中、明治36年(1903年)に河原仙英師が当時4万人を超える移民に対する布教活動のために渡航したことに始まります。 この時期は廃仏毀釈運動の時代とも重なり、一般大衆への捨て身の渡航であったと言われています。法務の収入ではとても生活が出来ないため、積極的に日系一世とともに開墾をし、学校を創立して教育活動も行いました。草を分けての開教であったと考えられます。 もちろん檀家制度もありませんが、懺悔や受戒を表にして布教に専念しながらも、生活苦や不安の多い移住住民の心の支えとしての寺院でありました。 しかし、第二次世界大戦によって、築き上げられてきた地盤が根底から覆されてしまいます。ハワイの仏教僧侶、日本人教師は米国本土に監禁され、当然寺院や学校は閉鎖されてしまいます。 残された寺院の会員たちはアメリカに忠誠を誓うことで名誉を回復する努力を試みます。実際、戦後のハワイ社会における日系人の地位を飛躍的に向上させることが出来たのは、日系二世部隊の忠誠心によるものが大きいという事実があります。 終戦を迎え、監禁拘束されていた人々は元の場所に戻ることが出来ましたが、 ハワイは米国の50番目の州となり、寺院のアメリカ化も進行していきます。日系二世らによる努力の結果、日系の合衆国議員、州知事、大学総長などを多数生み出し、ハワイの仏教も最盛期をむかえることになりました。 その後、日系三世、四世と世代が進むにつれて、日本語は急速に外国語となってしまい、日本語教育の学校は機能を失っていきます。このことは、寺院の活動にも大きな転換をもたらし、生活スタイルのアメリカ化、日本の伝統行事が失われていくことにどのように対応していくのか、まさに開教100年を迎えるこの時期は、仏教にとって、曹洞宗にとって大切な時代であるということが言えそうです。 |
Video files
先亡開教師回向 導師 曹洞宗宗務総長 有田惠宗老師
檀信徒総回向 導師 ハワイ布教総監 町田時保老師
100周年慶祝法要 大導師 管長御代理 斎藤信義老師
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成田空港出発控室 |
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到着後半日観光をしました |
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ご覧のとおり見事な天気です |
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正法寺にて |
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正法寺内の事務局 |
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運営委員会、SZIスタッフによる記念品の準備作業 |
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袋詰め作業 |
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シンポジウム開催前の打ち合わせ |
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受付光景。100周年記念Tシャツが作られました。 |
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歓迎晩餐会 |
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全ての行事が終わり、皆で。 |