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2022年8月 9日
昭和20年8月9日。
アメリカ軍により長崎に原子爆弾が投下されてから77年目の﹁長崎原爆の日﹂を迎えます。
あらためて原子爆弾によって犠牲となられた多くの方々に弔意を表します。
長崎原爆の日から77年目の8月9日、爆心地に造られた長崎市平和公園で平和祈念式典が開かれました。
田上富久長崎市長が平和宣言を行い、ロシアのウクライナ侵攻でプーチン大統領が﹁核兵器の使用も辞さない﹂と表明したことを懸念し﹁核兵器の使用は﹃杞憂﹄ではなく﹃今ここにある危機﹄である﹂と訴えました。
さらに﹁核兵器を持っていても使われないだろうというのは幻想。核兵器をなくすことが、未来を守るための唯一の現実的な道だ﹂と述べています。
年月の経過により、戦争があったことや、各都市に空襲があったこと、広島・長崎に原子爆弾が投下されたことの記憶が風化つつあります。
次世代に受継いでいくために、伝えていくことが大切であると感じます。
■長崎市長平和宣言︵全文︶
核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。このまちに15万人もの死傷者を出した原子爆弾の投下から11年後のことです。
被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚︵た︶きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。すると、会場から﹁写真に撮るのはやめろ!﹂﹁見世物︵みせもの︶じゃないぞ!﹂という声が発せられ、その場は騒然となりました。
その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。
﹁世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください﹂
核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。﹁どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!﹂と全身全霊で訴える叫びが。
今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5カ国首脳は﹁核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない﹂という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄︵せんりつ︶を走らせました。
この出来事は、核兵器の使用が"杞憂︵きゆう︶"ではなく"今ここにある危機"であることを世界に示しました。世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けたのです。
核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。﹁存在する限りは使われる﹂。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。
今年、核兵器をなくすための2つの重要な会議が続きます。
6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、条約に反対の立場のオブザーバー国も含めた率直で冷静な議論が行われ、核兵器のない世界実現への強い意志を示すウィーン宣言と具体的な行動計画が採択されました。また、核兵器禁止条約と核不拡散条約︵NPT︶は互いに補完するものと明確に再確認されました。
そして今、ニューヨークの国連本部では、NPT再検討会議が開かれています。この50年余り、NPTは、核兵器を持つ国が増えることを防ぎ、核軍縮を進める条約として、大きな期待と役割を担ってきました。しかし条約や会議で決めたことが実行されず、NPT体制そのものへの信頼が大きく揺らいでいます。
核保有国はこの条約によって特別な責任を負っています。ウクライナを巡る対立を乗り越えて、NPTの中で約束してきたことを再確認し、核軍縮の具体的プロセスを示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
﹁戦争をしない﹂と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交を展開するリーダーシップを発揮してください。
非核三原則を持つ国として、﹁核共有﹂など核への依存を強める方向ではなく、﹁北東アジア非核兵器地帯﹂構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください。
そして唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に署名、批准し、核兵器のない世界を実現する推進力となることを求めます。
世界の皆さん。戦争の現実がテレビやソーシャルメディアを通じて、毎日、目に耳に入ってきます。戦火の下で、多くの人の日常が、いのちが奪われています。広島で、長崎で原子爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間を苦しめます。だからこそ、私たち自らが﹁戦争はダメだ﹂と声を上げることが大事です。
私たちの市民社会は、戦争の温床にも、平和の礎にもなり得ます。不信感を広め、恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする"戦争の文化"ではなく、信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする"平和の文化"を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせていきましょう。高校生平和大使たちの合言葉﹁微力だけど無力じゃない﹂を、平和を求める私たち一人ひとりの合言葉にしていきましょう。
長崎は、若い世代とも力を合わせて、"平和の文化"を育む活動に挑戦していきます。
被爆者の平均年齢は84歳を超えました。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と被爆体験者の救済を急ぐよう求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。
長崎は広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島とつながり、平和を築く力になろうとする世界の人々との連帯を広げながら、﹁長崎を最後の被爆地に﹂の思いのもと、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
2022年︵令和4年︶8月9日
長崎市長 田上富久