『祈りの調べ』コンサート 開催報告



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読経と管弦楽の響き   池辺晋一郎

お寺の委嘱で、読経とともに演奏されるオーケストラ曲を書いた。仏教に多くの宗派があることは周知の通り。うち「禅宗」には栄西禅師を開祖とする臨済宗、隠元禅師を開祖とする黄檗宗、そして道元禅師を開祖とする曹洞宗の三派が属する。
 
今回の作曲委嘱は、横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山總持寺から。同寺の開創および初期の尊師である瑩山禅師と峨山禅師の遠忌に際しての記念公演のためである。同寺の雲水、青年僧侶が唱えるのは「大悲心陀羅尼」という経。まず、全体の構成表が送られてきた。オーケストラによる序奏が3~4分。そのあと遅いテンポの経が始まる。それが10分22秒つづくと、テンポが速くなる。この長さは1分03秒で、そのあと再びオーケストラの後奏、さらに---という具合。この構成表に従って作曲するわけである。
かつて黛敏郎は、その「涅槃交響曲」(58)の中で男声合唱に経を「歌わせた」が、今回の僕のスコア(総譜)には「経」というパートはない。実際の読経に添うだけだから。今回の委嘱を受けた背景には、不思議な因縁があった。まず、我が家先祖代々の墓所が東京・杉並の曹洞宗の寺だとういうこと。また、曹洞宗の大本山はこの總持寺と、もう一つ永平寺であり、後者がある福井県で僕はしばしば仕事をし、同県と密接な関係を持っていること。
さらに總持寺は1911年(明治44年)に石川県能登から横浜に移転したのだが、その能登とも、僕は深くかかわっている。七尾市中島町にある「能登演劇堂」に、仲代達矢さん率いる「無名塾」の音楽担当として設立以来毎年通ってきた。まだある。前記峨山禅師の生地は現在の石川県立音楽堂の仕事を長く続けている。

これら因縁は、今回の作曲に際し、まちがいなく強いモチベーションになった。しかし僕は、熱心な仏教徒というわけではない。檀家としての我が家の在り方に沿ったとも言えるが、それだけではなく、自分の仕事に「職人(アルティザン)」の部分があると考えるからでもあった。実は、これまでにも宗教関係の仕事をいくつかしてきた。信徒ではないのに作曲する場合もあったわけだ。
かのバッハはプロテスタント(新教徒)だったが、カトリックの典礼である「ミサ」曲をいくつか書いている。にもかかわらず、それらは敬虔な祈りに満たされた、いずれも名作だ。
注文仕事に応じるアルティザンであっても、ものを作るということは「その気」にならなければ決してできない。その時自分が立つ土俵に、主張や個性を盛り込もうとする。画家ボッティチェリもフェルメールも、そして作曲家バッハも、そうであったはずだ。 映画や演劇、放送のための音楽も、僕はたくさん書いてきた。それらすべてに、アルティザンの意識で対処してきたと思う。だが僕は、映画に、演劇に熱をあげて学生時代を過ごした人間だ。仕事ひとつひとつに多大な興味を抱き、早い話が面白がって作曲してきたのである。
今回の仕事も、経とのコラボレーションという構成に惹かれた。オーケストラ部分を「衆生」と見做して作曲したのだが、全体がどんな響きになるか、我ながら楽しみだ。「峨山道」という今回の新作は、6月23日横浜みなとみらいホールで、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の協力を得て初演される。指揮は僕自身である。
(いけべ・しんいちろう 作曲家)讀賣新聞6月17日 夕刊 耳の渚
投稿者: kameno 日時: 2015年6月24日 11:25

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