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2013年1月10日
貞昌院では毎週木曜日の朝、坐禅会を行っています。
新年に入ってからの2週目となりました。
これから段々と日が長くなってきます。日の出の時間も早くなってきていることが実感できます。
坐禅会には早朝にも拘らず、多くの参加をいただいています。
今回は新宿から始発電車に乗って参加された方もいらっしゃいました。
※坐禅会はどなたでも参加歓迎します。 坐禅会予定表を参考にお越しください。
さて、今日から坐禅会の最後に、佛遺教経を少しづつ読んでいます。
お釈迦様が涅槃に入られる際に説かれた最後の教えを纏めたものです。
佛遺教経の前半では﹁八大人覚︵はちだいにんがく︶﹂について詳しく書かれています。
いわば、人生のなかで大切な八つの教えというべきものですが、その八つとは
︵1︶少欲
多欲と少欲とを対比して、﹁多欲の人は利益を求むることに集中するから苦悩が多い。少欲の人は無求無欲であるから心に憂いがない・・・・・﹂と説かれています。
そして、﹁心が坦然として、心配事や畏︵おそ︶れるれることがないから、さまざまな功徳を生ずる・・・と続いています。
人間は贅沢な生き物です。欲望には際限がありません。欲しいものが手に入っても、また次のものが欲しくなります。美味しいものを食べても、もっと美味しいものを食べたくなります。
会社や商売において、利益追求が第一だ、という人もいますが、本当にそうでしょうか。
少欲が実践されますと、お互いの信頼関係が高まり、あたたかい敬愛の情が生じていきます。その功徳は計りしれないものであると考えます。
︵2︶知足
これは、まさに少欲と密接な関係があります。足ることを知る者には、自らを律する強い意志が現れています。
﹁不知足の者は富めりといえどもしかも貧し、知足の者は貧しといえどもしかも富めり﹂
﹁知足の法はこれ富楽安穏の処なり﹂
足ることを知るということは、欲望という煩悩から解き放たれて、実に安らかで穏やかな、そして豊かな心持ちでいることができるのです。
じっくりと噛み締めてみてください。
︵3︶遠離
今の時代は、情報の洪水に巻き込まれ、毎日が慌しく過ぎていきます。取り巻く環境も目まぐるしく変動していきます。
このような中で過ごしていると、視覚や聴覚などの五感でさえも麻痺してしまう。このような時代だからこそ、静かなところに坐して、喧騒から離れることが必要なのでしょう。
﹁衆をねがう者は、すなわち衆悩を受く。例えば大樹の衆鳥これに集まれば則ち枯折の憂いあるがごとし。世間は縛若して衆苦に没す。例えば老象の泥に溺︵おぼ︶れて自ら出ずること能︵あた︶わざるがごとし。﹂
・・・良寛さんの﹁戒語﹂に﹁推し量りのことを真実になして言う﹂というのがあります。世の中には不確かな情報が溢れています。一人一人の憶測が世の中の喧騒を作り出しているのです。この喧騒に溺れることがないように心がけたいものです。
︵4︶精進
一滴一滴の雨だれであっても、年月を重ねて石に穴を穿っていきます。
これは、実に大事な生活の態度です。
道のりが果てしなく遠いように見えても、一歩一歩足を進めることにより、確実に目標に近づいていくのです。
︵5︶不妄念
﹁常にまさに念を摂︵おさ︶めて心︵むね︶におくべし、もし念を失するものは、諸︵もろもろ︶の功徳を失す﹂というように、真実を見極め、光明を見失わない者には、例え五欲︵財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲︶の雲が襲ってきても、毅然としてこれに左右されないわけです。
︵6︶定
これは正定とか禅定、または止観三昧などと同義です。特に禅宗の根底に培われる教えであって、﹁定を得る者は、心即ち散ぜず﹂ということは、心の奥から叡知の光がさんさんと輝いているようなイメージです。
身や心を清浄にして、呼吸を整え、静処に端坐し、我執我慾を念制すること、これが定です。
︵7︶智慧
知恵ではなく、智慧です。これは聞思修の慧ということで、正しい仏法を聞いて、これを思惟し、これを体得した智慧の意で、﹁無明黒暗の大明灯なり、一切病者の良薬なり、煩悩の樹を伐る利斧︵りふ︶なり﹂と例えられています。
分かりやすく言うと、證︵さとり︶とも言うべきものでしょう。
︵8︶不戯論
﹁乱心、戯論を捨離すべし﹂というように、無意味な論議に大切な時間を空費してはならないということです。
このようなものです。
2500年前の教えですが、現代社会にも十分に通じる教えであるといえます。
教え自体はそんなに難しいことではないですが、それを実践することはとても難しいといえます。
私たちが複雑な社会の中で、生きていく中で大切なことは、喧騒の中に巻き込まれずに、一歩退いたところから客観的に私たちを取り巻いている事象を冷静に観察して、正しく判断を行い、着実に物事に取り組んでいくことなのでしょう。
ということで、これからも早朝も坐禅会を予定通り開催いたします。