« 縦書き文字文化の復権を |
最新記事
| 小学校で歴史スライドショー »
2012年1月30日
わが日の本は島国よ
朝日かがよう海に
連りそばだつ島々なれば
あらゆる国より舟こそ通え
されば港の数多かれど
この横浜にまさるあらめや
むかし思えば とま屋の煙
ちらりほらりと立てりしところ
今はもも舟もも千舟
泊るところぞ見よや
果なく栄えて行くらんみ代を
飾る宝も入りくる港
横浜市民であれば、馴染みの深い﹁横浜市歌﹂
作詞は森林太郎︵森鴎外︶で、1909年︵明治42年︶7月1日の横浜港の開港50周年記念祝祭で披露されました。
この横浜市歌には横浜港が世界各国からやってきた船でにぎわっている様子が描かれていますが、その様子がよく分かる写真がオーストリアで発見されたという報道が朝日新聞に掲載されていました。
写真を撮影したのは、写真家ミヒャエル・モーザー(1853-1912)で、東京大学史料編纂所jの保谷教授の研究チームにより発見されたそうです。
しかも明治初期の写真原版が136点もまとまって発見されたのは初めてのことで、↑の横浜港駅の写真は1872年に撮影と明記されていました。
おそらく野毛の山から撮影したのでしょう。
赤レンガ倉庫の前身となる倉庫とその脇に止まっている列車、そして港に溢れんばかりの船の数々。
1872年は、新橋︵汐留︶~ 横浜︵横浜港︶間に鉄道が開通した年です。
本当に貴重な写真だと思います。
新橋横浜間鉄道之図︵重要文化財・部分︶
上図に描かれている山が野毛山です。
この時代に描かれた絵図と照合すると、写真と整合することがよく分かります。
そのほか、江戸の大名屋敷や小田原城など、江戸から明治に入っての様子が鮮明に描き出されている写真ばかりだそうです。
整理されて公開される日が待ち遠しいものです。
■関連ブログ記事
汽車道にまつわるエトセトラ
■関連リンク
古写真でみる 文明開化期の横浜・東京 (1) (2) (3)︵有隣堂︶