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2011年10月 5日
でいだらぼっち 野庭︵のば︶
現在は、団地や家が建ちならび、昔のおもかげはありませんが、天谷大橋のふきんは、四、五十年前までは、田んぼや畑でした。
ふつう田んぼは、川を中心にして、一面に続くのですが、野庭の田んぼは、ところどころに、ポツンポツンとあったので、めずらしい﹁飛び田﹂と呼ばれていました。どうして、こんな飛び田ができたのかというと。
むかし、むかし、まだ、でいだらぼっちという人のいたころのこと。
ある時、このでいだらぼっちが野庭へ遊びに来たんだと。
でいだらぼっちは、力持ちの大きな男なんだが、とても気持ちのやさしい男でのー。村の家々をふまないようにと、つま先で立って歩いていたんだと。
馬洗川の近くまで来た時のことだ。川で水を飲んでいた馬が、でいだらぼっちに驚いてとつぜんあばれだしたものだから、静かに静かに歩いていたでいだらぼっちも驚いた。
思わずつま先立ちの指に力がはいって、土の中に指がめり込んだんだと。そのくぼんだ所に、水がたまつてできたのが﹁飛び田﹂なんだと。
まだまだ話のつづきがあるんだ。でいだらぼっちに驚いた馬というのは、北条政子という信心深い人が、鎌倉から、弘明寺観音へ、馬に乗っておまいりに通われたそうだが、その時の馬でのー。ちょうど天谷あたりの川原で馬に水を飲ませるために、一休みなさっていたんだと。
この人はエライ人でのー、﹁尼将軍﹂と呼ばれた人だけれどね。
でいだらぼっちは驚いて飛び田を作ってしまったけど、たまげた馬は、かわいそうに、川におっこって、ついでに顔を洗ったのでこの川は、﹁馬洗川﹂と呼ばれるようになってね、﹁馬洗橋﹂の前の山を"糞山"というんだ。
それで、後の人たちが、いつとはなく、田んぼに出て仕事をしながら、こんな唄をうたうようになったんだと。
馬洗川と天谷大橋︵てんやおおはし︶
野庭はよいとこ 雨あがり
美人はいないか
ぬき足 さし足
尼さんの馬に追われて
でいだらぼっちが
"ふん"をした
メールで問合せいただいた内容を元に、今日のブログを記載しています。
冒頭のお話は、永谷に伝わる民話です。
この中のいくつかを航空写真から検証してみましょう。
写真は 1949/02/28 に米軍により撮影された空中写真です。
国土変遷アーカイブより引用しました。
このうち、永谷川上流部の田んぼと思われる部分︵畑と思われる部分を除く︶をざっと赤く着色しています。
︵もう少し丁寧に塗れば良いと思うのですが、雰囲気だけでも︶
川沿いに広がる田んぼ、そのうち民話にあるようにぽつぽつと飛んでいるように見える田んぼもあります。これが飛び田なのでしょう。
昔の人は、この飛び田を、つまさき立ちで歩いた でいだらぼっちの足跡と考え、馬洗橋の右下にある︵もしくは左下にあった丸山のことか?︶こんもりした山を、でいだらぼっちの﹁糞﹂と考えました。
なお、天谷大橋は写真中段やや左よりの位置にある谷に掛かる橋です。
面白い発想ですね。
この巨人伝説は、ほかにも関東近郊に広く見られるようです。
でいだらぼっちとは、神奈川県を中心に、関東近郊の富士山を望む地域に広く伝えられている巨人伝説で、イメージ的にはこのようなものなのでしょう。
勝川春章・勝川春英画﹃怪談百鬼図会﹄より﹁大入道﹂
Wikiペディア ダイダラボッチ 項には、でいだらぼっち︵だいだらぼっち︶の残した﹁跡﹂についての様々な事例が纏めらられています。
■山を作る・運ぶ
・富士山を作るため、甲州の土をとって土盛りした。そのため甲州は盆地になった。
・上州の榛名富士を土盛りして作った。掘った後は榛名湖となった。榛名富士が富士山より低いのは、もう少し土を運ぼうとしたが夜が明け、途中でやめたためである。
・浅間山が、自分より背の高い妹の富士山に嫉妬し、土を自分にわけろといった。富士山は了解し、だいだらぼっちが自分の前掛けで土を運んだ。しかし浅間山は土の量が足りないと怒り、彼を叩いた。その際にこぼれた土が前掛山となった。怒りだした浅間山はついに噴火してしまった。
・ 西の富士、東の筑波と呼ばれる関東の名山の重さを量ろうとし天秤棒に2つの山を結わえつけ持ち上げると、筑波山のほうは持ち上がったが富士山は持ち上がらない。そのうちに結わえていたつるが切れ、筑波山が地上に落ちてしまった。その衝撃でもともと1つの峰だった筑波山は、2峰になってしまったという。
■足あと・手のあとを残す
・上州の赤城山に腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡が水たまりになった。木部の赤沼がそれである。
・長野県大町市北部の青木湖、中綱湖、木崎湖の仁科三湖はダイダラボッチの足あとである。
・茨城県水戸市中央部の千波湖は、かなり大きいがダイダラボッチ︵この地方ではダイダラボウ︶の足跡である。
・遠州の山奥に住んでいた巨人ダイダラボッチが、子供たちを手にのせて歩いている時に、腰くらいの高さの山をまたいだ拍子に子供たちを手から投げ出してしまった。びっくりした子供たちとダイダラボッチは泣き出してしまい、手をついてできた窪みに涙が流れ込んで浜名湖となった。
・現在、東京都世田谷区にある地名﹁代田﹂︵だいた︶やさいたま市の﹁太田窪﹂︵だいたくぼ︶はダイタラボッチの足跡である。
・静岡市のだいらぼう山頂には全長150mほどの窪みがあるが、ダイダラボッチが左足を置いた跡と伝えられている。琵琶湖から富士山へ土を運ぶ途中に遺したものであるという。
・相模原市の伝説ではデイラボッチと呼ばれ、富士山を持ち上げ違う場所に運ぶ途中、疲れたので、富士山に乗っかり休んだところそこにまた根が生えてしまいもちあげようとするが、持ち上がらずそのときふんばった所が今の鹿沼公園であるという。
・小便をしようと飯野山︵香川県中部︶に足をかけた際に山頂付近に足跡が付いた︵現在もその跡であるという伝説の足跡が残っているが非常に小さい︶。なお、その小便の際に出来たのが大束川といわれる。
・愛知県東海市の南側に加木屋町陀々法師︵だだほうし︶という地名があり、ダイダラボッチが歩いて移動する際に出来た足跡が池になったとして伝説が残っている。名古屋鉄道八幡新田駅西側にあったが2000年︵平成12年︶頃に埋め立てられて現在はその形跡はない。
■休む・洗う・食べる
・榛名山に腰掛けて、利根川で脛を洗った︵ふんどしを洗ったという説もある︶。
・羽黒山 (栃木県)には人間がまだ誕生しない大昔、でいだらぼっちが羽黒山に腰掛けて鬼怒川で足を洗ったという言い伝えがある。
・長野県塩尻市の高ボッチ高原はダイダラボッチが腰を下ろして一休みした場所であるという。
・﹁常陸国風土記﹂によると、茨城県水戸市東部にある大串貝塚は、ダイダラボッチが貝を食べて、その貝殻を捨てた場所だと言われている。その言い伝えから、近くにダイダラボッチの巨大な石造が創られている。
■人間を助ける
・ 秋田県の横手盆地が湖であったので干拓事業を行った際、だいだらぼっちが現れて水をかき、泥を掬ったため工事がはかどった。このだいだらぼっちは秋田市の太平山三吉神社の化身と考えられる。
日本のいたるところで親しまれている巨人なのですね。