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2011年8月10日
カタストロフィー︵或いはカタストロフ︶とは、1972年にフランスの数学者ルネ・トムが独創的に展開した数学の分野です。
この理論は、社会的事象や環境の変化などに応用することが出来るために一般的に知られる用語となりました。
ごく大雑把に簡単に図に描くと
︵この図はポテンシャル関数の局所的最大化という極めて単純な図式です︶
この図を元に、仮に社会や環境の﹁構造﹂を図の青い線で表現してみます。
世の中のさまざまな事象は、
明中に当って暗あり、暗相をもって遇うことなかれ、
暗中に当って明あり、明相をもって覩ることなかれ、
明暗おのおの相対して、比するに前後の歩みのごとし
﹃参同契︵さんどうかい︶﹄
にあるように、﹁明﹂と﹁暗﹂が一歩一歩の歩みの如く次々とやってきます。
明をプラスの方向、暗をマイナスの方向と考えると、その動きに従って、赤い玉が前後に揺さぶられます。
大抵の場合は、前後に揺さぶられても、あたかもお椀の中でビー玉を転がすがごとく、直ぐに底に戻ってきます。
安定領域の範囲であれば、そのようになります。
例えば、猛暑であったり、冷夏であったりしても、ある程度の範囲であれば何事も無いように直ぐに平時の状態に戻ります。
しかし、そのプラス・マイナスの触れ幅がある程度大きくなった場合はどうでしょうか。
つまり、安定領域から、回復可能領域の部分に逸脱した場合です。
この場合、安定領域に戻るためには若干のエネルギーが必要です。
さらに振れ幅が大きくなると、回復可能領域を超えて、淵から落ちてしまいます。
こうなると、もはや元の安定領域に戻すことは不可能です。
これが不可逆領域の部分です。
例えば明治維新、東京大空襲、横浜大空襲、原爆投下、終戦、バブル崩壊、大規模住宅開発、大震災、大津波・・・・大きな社会的事象が起きると、局所的あるいはある程度広範囲に歴史的な不連続面が生じてしまいます。
横浜大空襲では、空襲を受けた範囲では街の殆どが焼き尽くされ、建物も資料も失われてしまいました。
この事例では、大空襲を受けた範囲を局所的に見るに、不可逆領域に達してしまったのかも知れません。
しかし、日本全体的に見ると、終戦に至っても回復可能領域の範囲内に留まったていたと考えて良いのではないでしょうか。
このあたりが日本の﹁懐の深さ︵=図の青い線の谷の深さ︶﹂を表しています。
世界的に見ても、一つの国がこれほど長く継続的に続いている例は稀といえます。
現在、日本は東日本大震災、そして世界的な経済危機、円高の波に曝されています。
きっと回復可能領域を行ったりきたりしている状態なのでしょう。
けれども、世界の人々も、日本の人々も、戦後見事に復活した日本の底力を信じています。
補足ですが、局所的に不連続となった地域の﹁不連続面を繋ぎとめる役割﹂を寺院が大いに担うものと考えています。
なぜならば、その地域に﹁ずっとそこにあり﹂、﹁資料が代々きちんと受継がれ管理されている﹂という機能を寺院が有しているからです。
言い換えれば、不連続となった街の記憶を呼び戻す機能を、寺院が持っているということです。
その意味で、歴史的不連続の局面で寺院の存在意義、役割が問われることとなります。
<このあたりは追記していきます>
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