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| 東風吹かば »
2011年2月24日
貞昌院本堂で行われた劇団 IDIOT SAVANT theter company による舞台﹃彼方、蓮台野にて﹄がタウンニュース港南区版に掲載されました。
姥捨て山は、深沢七郎の小説﹃楢山節考﹄で有名となりました。
東北地方を中心にかつてあった貧しい村の辛くて悲しい掟です。
姥捨てをした息子は﹁それ﹂を成し遂げた場面で﹁母を置いていくことなど出来るはずがない。・・・僕はあなたを棄てられない﹂と悩み、苦しみます。
集落では盛大な葬儀が準備され、葬送の儀式が行われました。
経済的に豊かになった現代では、姥捨て山のようなものは無くなったのでしょうか。
全てのお年寄りは豊かな心持ちで人生を全うすることが出来ているのでしょうか。
劇はその後、街中の交差点を渡ろうとして途中で転んでしまい、横断歩道の真ん中で赤信号になってしまったお年寄りを嘲笑する若者の場面に切り替わります。
老人ホームに送り込まれるお年寄りたち。病気になっても見舞いに行くわけでもなく、亡くなっても葬式、供養もされない。
その若者も心が満たされているかといえば、必ずしもそうではない。
続く。・・・続く。・・・・続く。
鬼の面をつけた老婆はそう叫んで劇は幕を閉じます。
お面が凍りつき、歪み、割れ、この世の果てに馴れていく時に、この物語は安臥することができるのでしょうか。
姥捨て山は現代でも続いている。
却ってかつての貧しい村の方がマシだったのかもしれない。
劇の訴えかける問題は私たちに深く、重く圧し掛かってきます。
ここからは蛇足です。
現代では、山間部や離島を中心に、過疎化や高齢化が急速に進行しています。
その進み方が急激過ぎるために、集落自体の自治やインフラの管理、冠婚葬祭などの生活機能すら維持できず、そのまま消滅に向かうという深刻な問題が発生しています。
もはや子どもたち、未成年者が姿を消し、一人暮らしのお年寄りや、その予備軍だけが残されている集落であり、﹁限界集落﹂と呼ばれています。
集落をこの視点から分類すると次のようになります。
55歳未満人口比50%以上﹁存続集落﹂・・・跡継ぎが確保されており、共同体の機能を次世代に受け継いで行ける状態
55歳以上人口比50%以上﹁準限界集落﹂・・・現在は共同体の機能を維持しているが跡継ぎの確保が難しくなっており、限界集落の予備軍となっている状態
65歳以上人口比50%以上﹁限界集落﹂・・・高齢化が進み、共同体の機能維持が限界に達している状態
そして誰もいなくなった﹁消滅集落﹂・・・かつて住民が存在したが完全に無住の地となり、文字通り集落が消滅した状態
日本のにおいては少子高齢化の進行により﹁準限界集落﹂にある集落は急速に﹁消滅集落﹂への道を辿ります。
姥捨て山は悲しい慣わしです。
しかし、それすらも﹁続く﹂ことさえ出来なくなり、集落が︵もしくは自治体さえも︶消えて無くなってしまう時代を迎えていることを真剣に考えていくことが必要でしょう。