« 豊かな水と森を守るために |
最新記事
| 羽田空港国際定期便再開 »
2010年10月30日
横浜市港南区の港南台、日野南、日野中央一帯の地域には、1969~70年に行なわれた調査により、上瀬遺跡、中谷遺跡、榎戸遺跡、小坪遺跡、松ヶ崎遺跡、安養寺やぐら︵安養院やぐらと表記する書籍もある︶、大神やぐらなどの遺跡群が見つかっています。
例えば、現在のロイヤルホームセンター付近で発見された榎戸第1遺跡では縄文時代中期から後期にかけての集落遺跡26戸が確認され、港南区での最大級の大型遺跡群です。
しかし、港南台土地区画整理事業などのの大規模な住宅開発によって、それらが一気に失われてしまいました。
⇒ 歴史に学ぶ港南台の勉強会 根岸線の歴史と港南台駅誕生物語
﹃港南台遺跡調査報告書﹄(1978)を元に、現在の地図にかつてあった遺跡の位置をプロットしてみました。
現在は殆どが整地され、住宅地に飲み込まれてしまっていることが判ります。
かつて、このような遺跡があったという面影はありません。自分の住んでいる地域に、このような遺跡があったことすらご存知無い方も多いことでしょう。
より大きな地図で 港南台遺跡分布図 を表示
(K=古墳時代、J=縄文時代、Y=弥生時代、H=土師器・古墳時代 S=遺物・遺跡の散布地)
僅かに残されているのは、松ヶ崎横穴古墳群です。
ここは、港南台高校の敷地であったために運良く残されてきました。
港南台高校は2009年より上郷高校と統合され栄高校となりました。現在は立野高校建替えのために数年間立野高校が敷地を管理しています。
しかし、建替えが終わった後の敷地はどのように利用されるのか、あるいは民間に売却されるのか、今後の見通しがはっきりしていません。
松ヶ崎古墳群自体、適切に管理されているとは言えません。何時まで残していくことが出来るのでしょうか。
埋蔵文化財を取り巻く環境は、全国的に厳しさを増しています。
野ざらしのまま・・・・出土遺物が積み上げられた収蔵庫・・・・・たとえ遺跡のある土地が買い上げられたとしても、それらを管理していくための予算がつかず、放置されている事例がたくさんあります。
︿文化変調﹀第4部・きしむ国の支援︵中︶ 守った遺跡、生かせず
福岡市のJR博多駅に近い住宅地。4千平方メートル余の空き地に、雑草が生い茂る。
国史跡の比恵︵ひえ︶遺跡だ。古墳時代の貴重な倉庫群として2001年に指定された。建物の復元話もあったが、現在はほとんど手つかずのまま。近くの主婦︵66︶は﹁すごい遺跡とは聞いたけど......。今のままではもったいない﹂と話す。
遺跡の土地代は約15億円。国が8割と福岡市が2割を負担し、テニスコートだった民有地を買い上げた。だが、土地代の償還が終わらず、整備も始まらない。10年近く﹁塩漬け﹂状態が続いている。
原因は厳しい財政状況だ。福岡市は今年度、文化財保存整備費として約3億2千万円を遺跡整備などにあてるが、うち半分強は比恵遺跡の土地代の償還に消える。加えて、歴史的に大陸と交流の深い福岡には国史跡が12もあり、比恵遺跡を含め三つある未整備の史跡まで手が回らない。
﹁︵比恵遺跡を︶一般に開放できるのは、少なくとも10年先。財政を考えると、建物の復元は難しいでしょう﹂と、市教委文化財整備課整備第1係の大庭康時係長は話す。
文化庁の今年度の予算約1020億円のうち、ほぼ7分の1の約145億円が、史跡などのための土地購入費だ。だが、購入した土地が、なかなか整備・活用されない。埋蔵文化財をめぐる補助金に関して、国と自治体の歯車が、うまくかみ合っていない。
足りないのは金だけではない。先ごろ補助金の不正受給が発覚した埋蔵文化財の発掘調査事業。会計検査院の調べで、19自治体が29事業で、計約800万円の補助金を不正に受けていたが、19自治体のうち14自治体で、報告書が未刊行なのに、刊行したという虚偽の報告が行われていた。それらの自治体に、不正にいたった理由を取材したところ、ほとんどが﹁対象作業量に対する人手不足﹂をあげた。
その一つ、49万円の返還を求められた盛岡市は、小中学校の建て替え工事で予定外の発掘事業が発生し、後ろにずれ込んだことが、そもそもの原因だったという。さらに寒冷地では、雪が降る前にすべての発掘を終えることが優先され、報告書作成は、その後の作業になる。
市教委歴史文化課の袖上寛課長補佐は﹁最終的に冬場の負担が大きくなった。担当者が何とかなると判断していた﹂という。
戦後、日本の埋蔵文化財行政は、急速な経済発展に伴う開発から遺跡を守ることに力を注いできた。1960年代に平城宮跡︵奈良市︶で起きた、国道バイパスの建設計画への大きな反対運動などを契機に、遺跡の保存は全国的な潮流となった。75年に文化財保護法を改正し、保存体制を強化した。だがいま、各地の自治体からは、たとえ国に補助してもらっても、残りの負担分や人手を地元で用意できなければ、保存や整備は難しいといった悲鳴があがる。
︵朝日新聞 2010年10月25日︶
国も地方自治体も、財政状況が悪化する中で、一番削減しやすいのはこのような文化財に割り当てられる予算なのでしょう。
結果として、遺跡の整備が遅れたり、発掘調査報告書の刊行に支障をきたしたりしています。
文化財は、失われると取り返しが付かないことになります。
このような時期だからこそ、国、地方自治体、地元が一体となって問題解決に向けて立ち向かっていかなければなりません。
■関連ブログ記事
歴史に学ぶ港南台の勉強会
根岸線の歴史と港南台駅誕生物語
地域文化財がゴミに
博物館-閉館の波
安養寺あたりにあったやぐらを「安養院やぐら」と命名しているのはどうしてか?
投稿者 ドクターキムル | 2012年8月21日 20:52