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(丸山台の)造成について、当丸山地区は昭和42年頃より、京浜急行本社(品川)より上永谷地区の宅造についての申し出があり、その後何回となく交渉を重ね、昭和46年11月に、地権者132名、借地権者15名合計147名による港南区丸山地区土地区画整理組合が発足し、合意に至る。その後、色々の調査が進められ昭和49年3月に造成が開始された。工事は、毎日造成敷地内をブルドーザー約10数台が爆音と砂埃を立てながら、残土の2/3は、土を削ったり、移動したり踏み固めたりを繰り返し、余った残土1/3は、金沢の海を埋め立てた、現在の鳥浜町(金沢工業団地)埋め立てに運んだ。埋め立てに運んだダンプの総数、なんと 42,121台に及んだ。 (丸山台自治会のサイトより一部引用) |