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2010年3月 9日
死亡‥8万3793人 、負傷者‥4万918人、被災者‥100万8005人、被災家屋‥26万8358という膨大な被害をもたらしたアメリカ軍B-29による無差別空襲、東京大空襲の日を迎えます。
東京大空襲は9日の夜から10日にかけて継続的に行なわれました。
3月10日︵水︶の11時、13時、15時からそれぞれ20分づつ、戦災資料センター2階会議室で八木健一・ゆみ子夫妻によるハープとシンセサイザーによる演奏があります。
会場 東京大空襲・戦災資料センター
今年もまたあの日が巡ってきました。
私の父は東京下町が一夜にして焦土と化した昭和20年3月9日の夜、家族四人と東京深川区で東京大空襲を罹災し、四人の肉親を失いました。
父は生前空襲については、黙して何も語りませんでしたが、毎年3月10日には決って東京大空襲戦災資料センターを訪れていました。
今から思うと、肉親の命日にこの地を訪れるのが父にとっての墓参りだったのでしょう。
・・・・︵中略︶・・・
かねてより準備しておりましたCDもやっと完成しましたが、鎮魂と平和を願って3月10日に北砂の戦災資料センター2階の会議室で演奏させていただくことになりました。当日は、その場に集われた皆さんが、少しでも安らかな気持ちになれるように、心を込めて演奏したいと思っています。
︵八木健一・ゆみ子︶
犠牲となった多くの方々に対し心より哀悼の意を表します。
■追記
讀賣新聞で演奏会の様子が報道されました。
東京大空襲、肉親失った父への思いハープに
東京大空襲から65年となる10日、約10万人に上るとされる犠牲者の追悼行事が都内各地で開かれ、江東区の﹁東京大空襲・戦災資料センター﹂では、4人の肉親を失った父の思いを継ごうと、ハープ奏者の八木健一さん︵53︶︵神奈川県藤沢市︶が、鎮魂と平和への願いを込めたオリジナル曲を演奏した。
八木さんの父、康二さんは江東区内で大空襲に遭い、逃げる途中で、はぐれた母と弟2人は行方不明になり、5歳の弟も康二さんの背中で息絶えた。康二さんは、この時のことを多くを語らないまま2006年3月に死去したが、遺品からは大空襲の様子を記した便せんが見つかった。
八木さんは、﹁修羅地獄﹂﹁恐怖のどん底﹂などと書かれた言葉に父の無念さを感じ、妻とともに大空襲をテーマにした﹁寒い夜に﹂﹁祈り・光へ︵鎮魂︶﹂の2曲を作曲。この日は、﹁被災者が少なくなる中、空襲の悲惨さを音楽で次世代に伝えたい﹂という思いで演奏した。
2人の姉の追悼に訪れた和歌山市の家崎満大さん︵82︶は﹁一番上の姉の遺体が見つからず、ずっと心につかえていた。演奏を聴いて少し気が楽になりました﹂と涙を流していた。
︵2010年3月10日 読売新聞︶
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