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 ︵1946/03/05米軍により撮影 国土変遷アーカイブより︶
※鉄道の線路を赤線でなぞってみました。なお、南側に見える工場は、三菱の工場と思われます。
︵1946/03/05米軍により撮影 国土変遷アーカイブより︶
※鉄道の線路を赤線でなぞってみました。なお、南側に見える工場は、三菱の工場と思われます。
 第一海軍燃料廠内部には
第一~第六研究室、第一~第九実験室、特殊潤滑油製造所、ヘックマン式真空蒸留室、グリース製造所、耐爆熱実験室、第一過酸化水素連接濃縮工場、第二過酸化水素連接濃縮工場、過酸化水素フラスコ濃縮工場、第一航空発動機実験場・実用機械、第二航空発動機実験場・ロケット燃料テスト、特殊燃料実験場、高圧燃料実験、潤滑油試験機関室 ディーゼルエンジン実験場・31型単箱ディーゼル及61型高速試験機関、ボイラー燃焼実験場、石炭液化実験場、低温低圧実験場、揮発油重合実験場、原油蒸留実験場、化学工業研究室や、それに付随する宿舎、病院などの施設があったようです。
ここからトラックにより追浜の海軍工場とを結ぶ軍用道路︵現在の環状4号線︶を通り、貨物列車により工場引込線から大船を通って物資が追浜や横須賀方面へ物資が運ばれました。
第一海軍燃料廠は、1952年︵昭和27年︶に駐留軍により接収され﹁米軍大船PX﹂となります。
根岸線建設計画において、新大船︵本郷台︶駅の設置場所については、この米軍大船PXが最適であると検討されます。
PXの全敷地面積は35万平米あり、米軍から払い下げされる目処がついたこと、周辺地区と併せて新しい街の形成が見込まれることにより、PX敷地北側を駅用地として確保できるように交渉が開始されました。
また、大船ー本郷台間は飯島を回り込み半円状に結ばれる路線が選定されました。
第一海軍燃料廠内部には
第一~第六研究室、第一~第九実験室、特殊潤滑油製造所、ヘックマン式真空蒸留室、グリース製造所、耐爆熱実験室、第一過酸化水素連接濃縮工場、第二過酸化水素連接濃縮工場、過酸化水素フラスコ濃縮工場、第一航空発動機実験場・実用機械、第二航空発動機実験場・ロケット燃料テスト、特殊燃料実験場、高圧燃料実験、潤滑油試験機関室 ディーゼルエンジン実験場・31型単箱ディーゼル及61型高速試験機関、ボイラー燃焼実験場、石炭液化実験場、低温低圧実験場、揮発油重合実験場、原油蒸留実験場、化学工業研究室や、それに付随する宿舎、病院などの施設があったようです。
ここからトラックにより追浜の海軍工場とを結ぶ軍用道路︵現在の環状4号線︶を通り、貨物列車により工場引込線から大船を通って物資が追浜や横須賀方面へ物資が運ばれました。
第一海軍燃料廠は、1952年︵昭和27年︶に駐留軍により接収され﹁米軍大船PX﹂となります。
根岸線建設計画において、新大船︵本郷台︶駅の設置場所については、この米軍大船PXが最適であると検討されます。
PXの全敷地面積は35万平米あり、米軍から払い下げされる目処がついたこと、周辺地区と併せて新しい街の形成が見込まれることにより、PX敷地北側を駅用地として確保できるように交渉が開始されました。
また、大船ー本郷台間は飯島を回り込み半円状に結ばれる路線が選定されました。
 
  ︵左︶地形図﹁戸塚﹂昭和20年部改・昭和22年発行  ︵右︶地形図﹁戸塚﹂平成13年改測・平成14年発行
※なお、左側地図には史料をもとに第一海軍燃料廠の施設名称をkamenoが付記しています。
︵左︶地形図﹁戸塚﹂昭和20年部改・昭和22年発行  ︵右︶地形図﹁戸塚﹂平成13年改測・平成14年発行
※なお、左側地図には史料をもとに第一海軍燃料廠の施設名称をkamenoが付記しています。



亀野先生!
相変わらず......綿密ですね(笑)
脱帽もんです(京都残念です・泣)
投稿者 叢林@Net | 2009年11月30日 23:23