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  昭和17年当時の新聞には﹁横濱の眞中に鉱山?亜炭が続々・注文殺到﹂との見出しが付けられています。
︵昭和17年に東燃料工業が︶掘出すと同時に石炭の殆ど手に入らぬ現在、各方面から注文が殺到する。
県では亜炭が産出するといふのは初めてのため、マル公︵注1︶はもとより9・18停止価格令︵注2︶にも載っていないため、亜炭の二大産地に問合わせ慌てていまマル公算出中だといふ。
ここから産出する亜炭は木質で4200カロリー、平均で3700カロリーで、石炭の6000カロリー以上と比べて遥かに及ばぬが、常磐炭の四級品程度、普通工場のボイラー程度なら十分使用できるし、山形、岐阜等から高い輸送費をかけて移入するのと違ってリヤカーで20分もすれば市の中心地に運べるのだから採算は十分とれるとあり、鉱夫10名とは一寸飯事のような鉱山ながらなかなか活気づいているのは正に燃料国策時代、現場監督談。
︵注1マル公‥日中戦争下の価格等統制令および第二次大戦後の物価統制令による公定価格︶
︵注2価格等統制令=昭和14年勅令第703号︶
︵昭和17年6月の新聞記事より引用、脚注kameno付記︶
昭和17年当時の新聞には﹁横濱の眞中に鉱山?亜炭が続々・注文殺到﹂との見出しが付けられています。
︵昭和17年に東燃料工業が︶掘出すと同時に石炭の殆ど手に入らぬ現在、各方面から注文が殺到する。
県では亜炭が産出するといふのは初めてのため、マル公︵注1︶はもとより9・18停止価格令︵注2︶にも載っていないため、亜炭の二大産地に問合わせ慌てていまマル公算出中だといふ。
ここから産出する亜炭は木質で4200カロリー、平均で3700カロリーで、石炭の6000カロリー以上と比べて遥かに及ばぬが、常磐炭の四級品程度、普通工場のボイラー程度なら十分使用できるし、山形、岐阜等から高い輸送費をかけて移入するのと違ってリヤカーで20分もすれば市の中心地に運べるのだから採算は十分とれるとあり、鉱夫10名とは一寸飯事のような鉱山ながらなかなか活気づいているのは正に燃料国策時代、現場監督談。
︵注1マル公‥日中戦争下の価格等統制令および第二次大戦後の物価統制令による公定価格︶
︵注2価格等統制令=昭和14年勅令第703号︶
︵昭和17年6月の新聞記事より引用、脚注kameno付記︶