永野村、鎌倉郡から横浜市へ








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【豆知識】
永野村の領域は、普通に考えると豊田・川上村とともに後に戸塚区に編入されたはずでしたが、わざわざ分水嶺・武相国境を越えた村とともに港南区となっている理由はここに発端があったのです。



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都市に都市にと先を争って走るときに、工業の行詰りは、農業立国に逆転せぬとも限らぬ。土地の開発と言えば曰く住宅地、曰くゴルフ場、曰く遊園地、曰く何々工場、甚だしくは花柳界等の招致がそれである様に思ふものがある。
自分はそんな不健全な発展は望まない方がよいと思う。望まなくても、自然に殖えて寧ろ取捨選択に困るであろうと思ふ。区画整理もせねばならぬ時も来よう。村道として開いた道が自動車道と変る時代も来るであろう。要するに之等は自然の所謂他動的の勢に任せて、今は只農業的に所謂自動的充実に全力を尽す時代であると自分は信ずる。
永野村は他の多くの農村とは趣を異にしている。今は戸数二百の小村であるが、土地が広くて、大都市に隣接して居るから、年々歳々移住者が多くなり、遂には移住勢力に圧倒される時が来る。之れも免れ難い運命であるが、自分で分家を奨励する意味が茲にも着眼しているのである。
永野村の前途には光明が輝いて居るのであるが、之れは過渡期の時代に於ける私達の舵の取り方が甚だ六づかしい。只自分達は何処迄も、永野村を美しい気持ちの良い住み良い働き良い所として行きたいものだ。偏見かも知れぬが、自分は之れを望むのだ。

『村政七年を顧みて』(昭和6年・永野村村長 西木泰一著)



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投稿者: kameno 日時: 2009年2月22日 14:55

コメント: 永野村、鎌倉郡から横浜市へ






稿  | 2009223 05:55

うさじい様
仰るとおりですね。それゆえに寺院の果たすべき、果たさなければならない役割も大きいといえそうです。

投稿者 kameno | 2009年2月23日 20:09


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稿  | 20141124 12:17






稿 kameno | 20141124 22:50

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