« 『港南の歴史と文化』最終校正⇒印刷へ |
最新記事
| ロックDEお茶というエコ »
2008年7月11日
写真家の荒木経惟さんがさまざまな場所を訪れ、
何気ない日常生活の中にあってあまり気づかない、
ささいな幸せの情景を撮影します。
﹁﹃なんだ、こういうことがすてきなんだ﹄と気づいてもらえる、
そんな写真がいいんじゃない﹂とアラーキー。
天才に写真機を向けられた老若男女は、
魔法にかかったように次々と幸せの笑顔を咲かせる。
﹁だっておれは、幸福写真の花咲じいさんだから﹂
アラーキーこと写真家の荒木経惟氏が5月29日、﹁アラーキーの幸福写真﹂の撮影で本山を訪れた。荒木氏は、日常の幸せの情景を撮り続けている。
︵大本山總持寺 跳龍のサイト︶
写真家の荒木経惟氏が大本山總持寺に来山、修行僧たちの日常を撮影されました。
撮影された写真は、7月の新聞各紙に掲載される予定だそうです。どんな写真なのか、とても楽しみです。
写真にとって大事なのは関係性であると、写真家・荒木経惟さんは答えます。
コンパクトデジタルカメラやカメラ付き携帯の普及で、誰でも気軽にスナップ写真が撮ることができるようになりました。
けれども、いきなり撮影された人にとっては、撮影されることに対して不快に感じることもあるでしょう。
﹁撮ってもよいでしょうか?﹂という最低限の心遣いがあれば、そこには信頼を持った関係性を生み出すことができる。
たった一言のある無しには、大きな隔たりがあります。
その関係性を作ることができることが写真家の写真家たるところなのでしょう。
幸福写真の花咲じいさん、荒木経惟さんの写しだす日常の何気ない幸せ。
写す人、その写真を鑑賞する人、それぞれに笑顔が広がる写真って、素敵ですね。
⇒アラーキーの幸福写真
次のような話題もありました。
<荒木経惟さん>様々な思いを…母子ヌード撮影に40組
﹁アラーキー﹂こと、写真家の荒木経惟︵のぶよし︶さん︵67︶が6月28、29の両日、熊本市上通町の市現代美術館で﹁母子﹂のヌード撮影をした。過激なヌード写真で知られる荒木さんだが、母子をテーマにするのは初めて。﹁愛とか生とかを考えると、最高のポートレート︵肖像︶はお母さんと子どもなんじゃないか、そういう気分になった﹂。そう語る荒木さんに共鳴した40組が熊本県内外から参加した。
︵Yahoo!ニュースより︶
熊本市現代美術館では、2008年11月より﹁荒木経惟展﹂を開催いたします。本展のために荒木氏が撮り下ろす最新作、﹁母子シリーズ﹂の撮影会を熊本市現代美術館で行います。
こどもをめぐる暗いニュースが多く聞かれる状況の中で、未来への希望がつまった赤ちゃんとお母さんの笑顔を通して、命の尊さをもう一度見つめなおすことを荒木氏は目指しています。荒木氏にとっても初めての試みとなる﹁母子シリーズ﹂を熊本から世界に向けて発信していくこの機会に、どうぞ奮ってご参加ください。
︵?熊本市現代美術館のプレスリリースより︶
父母の子に向ける愛は計り知れないほど大きく深いですが、同じ慈愛でも、慈父といえば仏教ではお釈迦様を意味し、慈母といえば観音様などの菩薩様をさします。
この違いはどうして生じるのでしょうか。
全ての人間は女性から生まれます。これはゆるぎない事実です。
世の中には、女性を﹁性﹂の対象としか見ないような表現が氾濫していますが、﹁性﹂ではなく﹁生﹂について素直に向き合うことは大切なことだと思います。
もしも、女性写真家の撮影された﹁父・子﹂の写真展が、併設会場で展示されていたら是非鑑賞してみたいと思います。
慈父と慈母の違いの答えが見つかるかもしれません。