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2008年4月26日
神奈川県鎌倉市にある大船観音寺。
意外と知られていないのですが、大船観音寺には、広島、長崎の原爆に関わる平慰霊碑があります。
この慰霊碑は、被爆25年の年︵昭和45年︶に、神奈川県の原爆死没者の霊を合祀し、みたまを慰めるために、県下在住の被爆者が﹁財団法人大船観音協会﹂の関係者の厚意により、この地に建立することになったものです。
詳細はこちらをご覧下さい。
⇒ 広島原爆の日に
⇒ Flame of the Atomic bomb in Ofna kannon
この﹁原爆の火の塔﹂には、広島原爆の火が灯されています。
この火は、原爆投下から終戦後9月16日まで商店街の押潰された地下壕の奥でくすぶり続けていた原爆の火の残り火です。
原爆の火は福岡県星野村にて大切に受け継がれ、原爆投下から45年の年︵昭和65年︶に神奈川県原爆被災者の会により分灯されました。
それが、この大船観音寺の﹁原爆の火の塔﹂の中で燃え続けています。
星野村役場に原爆の火が受継がれている経緯についてはこちらをご参照ください。
⇒星野の里に永遠に燃える﹁平和の火﹂ その1
⇒星野の里に永遠に燃える﹁平和の火﹂ その2
原爆の﹁灯火﹂が大船観音寺にあることが、あまり知られていない理由は、昼間はあまり目立たないことに一因があるように思います。
そのことは夜に訪れる︵★︶と分かります。
灯篭の中に灯された火は、昼間はあまり良く見えませんし、そこにあると教えられて初めて分かるような状態です。
しかし、夜間は違います。
薄暗い境内に、この灯火は遠くからでもはっきりと見ることができます。
実にしっかりとした灯火です。
★残念ながら、普段、大船観音寺は午後4時で閉門してしまいます。
夜の境内に入ることのできる機会は年に数回しかないのです。
そこでお知らせです。
この夏に夜の大船観音寺に入ることが出来る機会が3回あります!
キャンドルナイト2008 in 大船観音
5/19︵月︶17:30?21:00
6/22︵日︶17:30?21:00
第10回 ゆめ観音アジアフェスティバル
9/6︵土︶9:00︵開門︶?20:00
様々な意味を込めた祭典です。
夜の大船観音境内の雰囲気をゆったりと楽しむことができます。
詳細は追ってご紹介いたしますので是非ご訪問下さい。
■追記1
映画 ﹃ヒロシマ ナガサキ﹄ 5月3日 大船観音前にて上映!︵一回のみの上映です︶
鎌倉平和推進事業 憲法記念日のつどい
平和都市宣言50周年記念 ”いのち伝えて”
﹃ヒロシマ ナガサキ﹄
上映日 2008年5月3日︵土・祝︶ 10:30より上映
上映場所 鎌倉生涯学習センター ︵鎌倉市小町1-10-5︶
お問合せ 鎌倉平和推進実行委員会/鎌倉市 0467-23-3000 内線2541
入場料 500円
※今年、2008年は、鎌倉市が全国に先駆けて﹁平和都市宣言﹂を行ってから50年目の節目の年になります。
?繰り返さないため。過去に学び、平和を願う?
アカデミー賞ドキュメンタリー映画賞に輝いた映画監督、スティーヴン・オカザキ。広島、長崎への原爆投下から60余年を経た今、“原爆の被害に対する認識と関心を世界に呼び起こしたい”と、監督自身が日本で500人以上の人に会い、取材を重ねた。14人の被爆者、原爆投下に関与した4人のアメリカ人の証言を軸に、貴重な記録映像や資料を交え、広島と長崎における原爆投下の真実に迫る。被爆者の想像を絶する苦悩と真正面から向き合い、25年の歳月かけて完成された渾身のドキュメンタリー。
ストーリー
第2次世界大戦末期の1945年8月6日午前8時15分。人類史上初めての実戦使用となる原子爆弾が広島市の上空から投下された。そして、その3日後の8月9日午前11時2分。長崎市に2発目の原爆が投下された。2都市併せて約60万人が被爆。街も人も瞬く間に吹き飛んだ。そんな地獄とも言える当時の現状を知る14人の被爆者たちが原爆について語る。
■追記2
厳戒態勢の中、いよいよ聖火リレーが長野でスタート
国内外から注目を浴びる長野市の聖火リレーは、26日朝から午後まで、4時間弱程度をかけて行われる予定だ。善光寺の辞退により出発地点は﹁長野県勤労者福祉センター跡地﹂に急遽︵きゅうきょ︶変更。午前8時半、第1走者の野球日本代表監督、星野仙一さんがスタートする。
聖火リレーの総距離は18.7キロ。聖火は、公募で集まった市民ランナーを含む80人の手でリレーされる。1人当たりの走行距離は、200?300メートル程度となる。
星野さんのほか、野口みずきさん︵女子マラソン︶▽吉田沙保里さん︵レスリング︶▽北島康介さん︵水泳︶?ら、北京五輪に出場するトップ選手もリレーに参加。このほかにも、萩本欽一さん▽有森裕子さん▽岡崎朋美さん▽荻原健司さん?ら、華々しいメンバーもトーチを手にし、聖火リレーに花を添える。
また、最高齢の山岸重治さん︵76︶は10年前の長野五輪でも聖火リレーを務めた“ベテラン”だ。
聖火は出発後、善光寺参道にある大門やJR長野駅前、長野運動公園脇などを通り、午前10時20分ごろに、長野五輪スピードスケート会場として使用された競技施設﹁エムウェーブ﹂に到着。約30分の休憩時間には、長野市立緑ケ丘小金管バンドによるアトラクションなどが披露される。
聖火リレーの再開は午前10時50分ごろ。午後0時15分ごろには、ゴール地点の若里公園・県民文化会館に聖火が到着。聖火台への点火などを経た後、聖火は次のリレー地、ソウルに送られることになっている。
厳しい警備態勢が敷かれるのが、今回の聖火リレーの特徴だ。長野県警の警備態勢は、警視庁や他県警の応援1000人弱を加え、約3000人。
︵産経新聞︶
いよいよ、まもなく長野での聖火リレーがスタートします。
聖火リレーのコースになっている長野市のメーンストリート﹁中央通り﹂では、中国国旗を掲げるグループと中国政府に抗議しチベットの自由化を支持するグループが沿道に集まりました。不測の事態に備え大勢の警察官が沿道を取り囲んでいます。
長野県警の警備態勢は3,000人にもおよび、そのような中で一般市民が聖火を見ることはかなり困難でしょう。
形だけの聖火リレーに意味はあるのでしょうか。
古代ギリシア人にとって、火はプロメテウスが神々の元から盗んできたものだと考えられており、神聖なものだった。このため、火はオリンピアの多くの神殿に見られるのである。火はオリンピアにあるヘスティアの祭壇で燃え続けた。オリンピック開催期間中は、ゼウスとゼウスの妻ヘラの神殿に火がともされ、ゼウスを称えた。近代オリンピックにおける聖火は、かつてヘラの神殿が建てられていた場所で採火されている。
近代オリンピックでは、1928年まで聖火は見られなかった。オランダの建築家ジャン・ウィルスは、1928年のアムステルダムオリンピックにあたって、オリンピックスタジアムの設計に塔を取り入れ、火が燃え続けるというアイディアを盛り込んだ。1928年7月28日、アムステルダム電気局の職員が、地元ではKLMの灰皿として知られている、いわゆる"マラソンタワー"と呼ばれる塔に最初の聖火をともした。
ベルリンオリンピックの聖火
この聖火というアイディアは熱い注目を浴び、オリンピックの象徴として取り入れられた。1936年のベルリンオリンピックでは、ドイツのスポーツ当局者でスポーツ科学者のカール・ディウムが、聖火リレーを思いついた。3,000人以上のランナーが聖火をオリンピアからベルリンまで運んだ。ドイツの陸上選手だったフリッツ・シルゲンが最終聖火ランナーで、競技場で聖火をともした。聖火リレーもまた、オリンピックの一部となった。
(wikiペディア︶
聖火リレーが本来の目的とは別に、政治利用された事例は少なくありません。
そもそも、聖火リレーがオリンピックの象徴として取り入れられた1936年のベルリンオリンピックは、ナチス政権下で実施されたものであり、世界に国力を示すと同時にバルカン半島侵攻調査の目的もあったとされています。
中国はチベット問題を内政問題であるとしていますが、そもそも自治区とはいったい何なのか。
今回の聖火リレーもチベットは中国の一部であるということを世界に訴えたい中国政府の意図があからさまであります。
日本における聖火リレーはどのような結果になるのでしょうか。
日本での聖火リレーの出発地点であった善光寺では、チベット暴動による犠牲者の追悼法要が聖火スタート同時刻に行われます。
この法要を主催した﹁チベット問題を考える長野の会﹂及び善光寺の僧侶有志﹁平和を願う僧侶の会﹂を支持いたします。
神聖なる平和の灯火が政治的に利用されることは本当に残念です。