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神社の鳥居は朱に塗られたものが多く、その鮮やかさは目に染みるほどです。
この朱は日本では古来より用いられてきた「丹」と呼ばれた鉱物によるもので、硫化水銀からなる辰砂の別称です。
神社の鳥居は結界の役割を果たしますが、同様に、禅の修行道場でも結界の例をみることができます。
例えば授戒会における正授道場︵本道場︶においては、道場周囲に紅幕を張り巡らし、結界を構築いたします。
写真は大本山總持寺報恩大授戒会第六日における正授道場準備の様子です。
直僚︵じきりょう︶は教授道場に張る白幕、正授道場に張る紅幕の間数を調べ、要所要所にすぐ掛けられる準備をする。
竹柱が必要ならばあらかじめ用意しておく・・・・
︵﹃昭和修訂曹洞宗行持規範﹄授戒会作法第六日の項より︶
授戒会正授道場においては、その行持中、紅幕を出たり入ったりすることは許されず、直歳︵しっすい︶老師が結界真言を唱えながら紅幕の外周を巡回します。
結界の中で行われる厳粛な儀式です。
では、なぜ朱が結界に使われるようになったのでしょうか。
朱は生命の源、血の色でもあることから死と対極にあるものと考えられ、そのことにより呪術の際に死霊を封じる意味で用いられていました。
縄文時代から弥生時代にかけては死者に朱を塗る風習があり、これも再び蘇り、邪なる霊から死者を護るという意味合いがあったと考えられています。
日本の古語においては明︵あか︶、顕︵しろ︶、暗︵くろ︶、漠︵あお︶という表現がありましたが、明︵あか︶は、明けを意味する赤と同義で、夜明け=太陽を意味します。
南方に朱雀が配される理由の一つとして考えられることは、南が太陽の通る道であることによるものでしょう。 以前、このブログにおいて中国寺院の壁はなぜ黄色?という五行思想に関する記事を書きました。 五行思想による東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武として 朱 = 朱雀 = 火 このうち、南の朱雀として用いられる﹁朱﹂の色として、天然の辰砂が塗られました。 キトラ古墳などに見られる朱雀の朱も天然の辰砂によるものです。 ﹁神社の朱い鳥居を潜るとそこから先は朱によって浄化された独特の聖なる空間である。鳥居はもともと境界の印として立てられたもので東南アジアのラオスなどでは村落の入り口に鳥居が建てられている。そこでの朱塗りということは非常に意味がある。朱塗りされたものは清浄であり神聖なものとされる。邪悪なものはそこから入れない。これは火を浄火として用い火によって清められるとする考えと共通する。﹂ ︵﹃朱の伝説﹄邦光史郎著・集英社より︶ 万灯供養法要の際に、堂内をロウソクの灯火によりぐるッと囲み、結界を組むということも、朱の紅幕を張ることも同様の意味があるものと考えられます。 |
今日の記事を結界で囲ってみました。
邪悪な者には読むことが出来ません