洞谷山永光寺は、約700年前の正和元(1312)年、太祖常済大師瑩山紹瑾大和尚が45歳の時、能登国中川︵現在の石川県羽咋市︶の地頭、 酒匂頼親の娘︵祖忍尼︶の勧請により創建された開山禅師示寂の道場です。
創建当時は、本寺を中心に五院、二十数坊を擁して繁栄し、特に後醍醐天皇をはじめ、 南朝、北朝の帰依により勅願寺となり、光厳上皇の勅願による三重の利生塔の建立、 宗門唯一の霊場として曹洞宗五祖の遺物を安置した五老峯など、世の崇敬を集めました。
その後、二度︵応仁2年、天正7年︶の大乱に遭いましたが、天正10 (1582)年、前田利家により再興された後は、總持寺の末寺とされました。永光寺様式として曹洞宗伽藍構成の一典型を保っています。
永光寺様式とは、山門と正面の法堂を結ぶ軸線の右手に庫裡、書院、方丈、浴室、左手に僧堂、東司、鐘楼などがそれぞれ配置され、回廊で結ばれる配置が特長です。
現在の伽藍は寛永以後の再興で 往時を偲ぶべくもありませんが、平成の十年計画大修理を経て、諸堂宇の改修、整備がなされました。
左写真‥山門、右写真‥法堂
左写真‥僧堂、右写真‥鐘楼
法堂の奥に伝燈院があり、更に、その奥の石段の上には、高さ5mの墳丘、五老峰があります。
﹃洞谷記﹄によれば、五老峰には、高祖天童如浄禅師、二祖永平道元禅師、三祖孤雲懐奘禅師、四祖徹通義介禅師、五祖瑩山紹瑾禅師の祖師それぞれの遺品︵如浄禅師の語録、道元禅師の霊骨、懐奘禅師の血経、義介禅師と瑩山紹瑾禅師の嗣書︶が安置されているとされています。
この五老峰の裏から門前町の總持寺祖院に至る13里の山道が峨山道です。
總持寺二祖峨山禅師が永光寺を兼務していたころ、毎朝未明に永光寺の朝課を勤めてから、この道を辿り走り抜け、總持寺の朝課に駆けつけたといいます︵峨山往来︶。
そのため、總持寺で朝課において大悲呪を非常にゆっくりと眞読し、峨山禅師を待ち受けました。これが現在の大本山總持寺でも受け継がれています。
︵実際に私達が峨山道を駆け抜けるには丸一日かかります︶
もう一つ。
五老峰、伝燈院を参拝する際には、回廊に吊るしてある鐘を一打してから入堂するという作法があります。この鐘の音を聴いて、禅師さまが馳せ参じてくださるのです。
伝燈院の正面、一段高い壇正面には高祖天童如浄禅師から開山瑩山紹瑾禅師の尊像と位牌が祀られています。
さらに右左壇には明峰素哲大和尚からの尊像と位牌が配されています。
伝燈院は、時を超えて瑩山紹瑾禅師の法燈を立体的に感得し、礼拝することができる空間であるといえます。
今回の参拝において、普段は閉じられているこの伝燈院上壇への拝登をさせていただきました。
気持ちの引き締まる思いです。
写真はありませんが、尊像と位牌の配置図のみご紹介させていただきます。
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山
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尚
禅
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禅
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當山第三祖
新豊開基・浄住二代
無涯洪大和尚禅師
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祀 堂
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當山第二祖
紹燈開基・光禅開山
明峰祖哲大和尚禅師
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當山第五祖
宝鏡開基・光孝二代
壷庵簡大和尚禅師
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當山第四祖
大雄開基・總持二代
峩山硯大和尚禅師
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永光寺さんは良い水があるという話を聞いたことがございます。
投稿者 天真 | 2007年11月21日 21:26
天真さん
背後に山を背負っていますから豊かな水が湧くのでしょうね。
投稿者 kameno | 2007年11月21日 23:03