« 今年のゆめ観音は9月8日開催 |
最新記事
| ゲンジボタルの乱舞・川成リホタル »
2007年6月 4日
昨日は、大船観音でのアジアフェスティバルについて書きましたが、この観音様、昭和4年に建造がはじまり、それ以降小高い丘から街を見守る、いわゆる大船のシンボル的な存在となっています。
また、近年はアジア各国からの信仰をあつめ、熱心な信者たちが数多く参拝を重ねています。
大船観音といえば、この一帯にお住まいの方であれば、ご存じない方はいらっしゃらないでしょう。
さて、日本には、あちらこちらに巨大なすがたをしておられる仏様︵あるいは観音様=以下、巨大仏と書きます︶が建立されています。
そういえば、昨年は、加賀温泉の観音様を参拝し、そのことをブログで紹介いたしました。
宗教テーマパーク-その1
宗教テーマパーク-その2
このような巨大仏は、どれくらいあるのか。
いろいろな資料をもとに、わかる範囲で高さの順に並べてみました。
名称 |
所在地 |
高さ(m) |
完成年 |
備考 |
牛久阿弥陀大仏 |
茨城県牛久市 |
120 |
1993 |
浄土真宗東本願寺派 |
小豆島大観音 |
香川県小豆郡 |
108 |
1995 |
真言宗仏歯寺 |
仙台大観音 |
宮城県仙台市 |
100 |
1991 |
真言宗智山派大観密寺 |
淡路観音 |
兵庫県津名郡 |
100 |
1982 |
豊清山平和観音寺 |
北海道大観音 |
北海道芦別市 |
88 |
1989 |
芦別レジャーセンター |
加賀大観音 |
石川県加賀市 |
73 |
1987 |
ユートピア加賀の郷 |
救世慈母大観音 |
福岡県久留米市 |
62 |
1983 |
成田山新勝寺 |
会津慈母大観音 |
福島県河沼郡 |
57 |
1987 |
芳賀曻之助氏が建立 |
東京湾観音 |
千葉県富津市 |
57 |
1961 |
個人が世界平和を祈願して建立 |
うさみ大観音 |
静岡県伊東市 |
50 |
1982 |
うさみ観音寺 |
釜石大観音 |
岩手県釜石市 |
48.5 |
1970 |
曹洞宗石応禅寺 |
高崎白衣大観音 |
群馬県高崎市 |
41.8 |
1936 |
真言宗慈眼院 |
親鸞聖人大立像 |
新潟県北蒲原郡 |
40 |
1990 |
越後の里親鸞聖人 |
七つ釜聖観音像 |
長崎県西彼杵郡 |
40 |
1990 |
西海楽園
|
大釈迦坐像 |
熊本県玉名市 |
38.5 |
1979 |
真言宗弘泉寺 |
田沢湖金色大観音 |
秋田県仙北郡 |
35 |
1987 |
ホテルタザワ |
長崎観音 |
長崎県長崎市 |
35 |
1979 |
福済寺 |
白雲山鳥居観音 |
埼玉県飯能市 |
33 |
|
単立鳥居観音 |
純金開運寶珠大観音 |
三重県一志郡 |
33 |
|
大観音寺 |
谷山大観音 |
鹿児島県鹿児島市 |
33 |
|
妙円寺 |
子安弘法大師尊像 |
愛知県蒲郡市 |
30 |
1938 |
|
おびんずるさま |
熊本県山鹿市 |
30 |
|
|
琵琶湖大仏 |
滋賀県長浜市 |
28 |
1994 |
|
七寳寺大観音 |
大阪府能勢町 |
28 |
2002 |
|
香山昇龍大観音 |
福岡県朝倉郡 |
28 |
1987 |
|
平和観音 |
山梨県甲府市 |
27 |
1982 |
|
琵琶湖大仏(初代) |
滋賀県長浜市 |
27 |
1937 |
|
大谷平和観音 |
栃木県宇都宮市 |
26 |
1954 |
|
龍女神像(乙姫像) |
大阪府堺市 |
26 |
2000 |
|
大牛蟹 |
鳥取県日野郡 |
26 |
|
|
大船観音 |
神奈川県鎌倉市 |
25.4 |
1960 |
|
日蓮聖人像 |
新潟県佐渡市 |
25 |
2001 |
|
では、これらがどの時期に建立されたのか。
時系列に並べ、高さごとにプロットしてみたのが下図です。
これを見ると、日本の高度成長期?バブル時期に合わせて、一気に巨大仏が建立されている事がわかります。
巨大仏が何故建立されたのか。
その由緒を探ってみますと、興味深い事がわかります。
個人や企業が、その財を投じて、世界平和のために建立されたもの、レジャー施設の目玉として建立されたもの・・・・・
その由緒はさまざまですが、歴史が浅く、あまりにも独善的に建立されたものは、街の光景になじまず、街の方々の視界にいやがおうでも入っているにも関わらず、﹁無いもの﹂として扱われたりというように、必ずしも街に受け入れられていないという事例も少なくありません。
﹁必然性のない物は存在感が増す﹂
﹁存在感が過剰なものはないものとして扱われる﹂
﹃晴れた日は巨大仏を見に﹄の著者、宮田珠己氏は、この状況を逆手に取って、ありふれた街に聳え立つ巨大仏のある風景の﹁おかしみ﹂の感覚を表現し、出版されています。いわゆる﹃日本﹁マヌ景﹂論﹄です。
巨大という異様さによりそれが打ち消され、遠近感の感覚を否定された超異次元感覚により沸き起こる﹁ヘンな感触﹂により、﹁世界平和﹂や﹁観音信仰﹂という純粋な動機、ありがたさが打ち消されてしまっているというのです。
バブル時期に建立された巨大仏の中には、既に参拝される方も無く、廃墟と化してしまっている所もあります。
しかし、逆に、当初の建立の目的を生かして街に溶け込み、信仰を集めている巨大仏もあります。
その違いは何か。
そのあたりを突き詰めると、信仰とは何かという答えが見つかると思います。
実に興味深いところであります。
玄奘三蔵法師がが7世紀に目の当たりにしたバーミヤンの巨大黄金仏は、大乗仏教に大きな影響をあたえた世界的な仏教遺産であったことは確かですし、東大寺盧舎那仏像や鎌倉の大仏は国宝なのですから。
■関連の書籍
珍寺大道場 (単行本)
小嶋 独観 (著)
晴れた日は巨大仏を見に (単行本)
宮田 珠己 (著)