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2007年5月14日
今日の記事は台湾における仏教の展開についてご紹介します。
朝日新聞5月4日に関連の記事が出ておりましたので、その記事をデータの出典として書いていきます。
まずは、写真から。
毎年、大船観音で、ゆめ観音アジアフェスティバルを開催︵今年は9月8日開催予定︶ していますが、この写真は、2001年にお越しいただいた台湾仏光山寺東京別院の僧侶の方々です。
法要儀式としては、
︵1︶観音様礼讚︵観音樣の姿をまねて、観音の慈悲をほめたたえる︶
︵2︶崗物語︵豊作への祈り︶
の2つを厳修していただきました。
ご覧のように尼僧さんを中心に華やかな衣装が印象的ですね。
法要も歌に乗せて行うため、合唱のようです。
台北市の龍山寺台湾における宗教は、特に仏教・道教・儒教の三大宗教が漢民族の間で盛んであり、人々は今日でも宗教と深くむすびついている。仏教は仏光山と慈済と法鼓山と中台禅寺の4宗派が優勢であり、道教系は疫病の神・王爺や海の女神・媽祖に対する信仰が多い。また、儒教の創始者である孔子も﹁学問の神﹂として崇められており、台湾各地に孔子を祭る孔子廟が設置されている。
ただし、仏教・道教・儒教の区分は大変あいまいで、相互に強く影響を受け合っていることから、各地にある廟では各宗教の神々が合祀されていることが珍しくない。そのために、漢民族の宗教生活は各宗教が混合されており、人々はそれぞれの状況に応じて参拝する神々を変えている。なお、台湾にも少数ながらキリスト教やイスラーム教の信者も存在している他、原住民の間では今なお伝統的なアニミズム信仰が行なわれている。
宗教も文化と同様に、中華人民共和国では廃れてしまった宗教儀式が今なお数多く残存している。特に道教系の祭礼は大掛かりなものが多く、旧暦の3月23日に行なわれる媽祖の誕生祭︵媽祖誕辰︶や、1週間に渡って街を練り歩き、数千万円相当の木造船を焼却する5月10日の王船祭︵焼王船、王爺を鎮める祭り︶、旧暦7月15日の中元節や旧暦10月22日の青山王の誕生祭︵青山王誕辰︶などが毎年華やかに催される。また、占いや祈祷を行う﹁?姨﹂(アンイー、巫女)や﹁童乩﹂︵タンキー、シャーマンの一種︶も健在であり、媽祖の誕生祭を始めとする各種宗教儀礼に参加している。
葬儀や婚礼も大掛かりであり、特に葬儀のパレードは楽隊まで繰出して華やかである。
Wikiペディア
台湾の人口は約2300万、そのうち約1000万人が仏教信者と言われています。
仏教信者の数は、20年で倍増しました。
その要因としては
﹁中国の台頭などで先行き不安感も出ていおり、心の安寧を求める﹂
﹁社会構造の変化や高齢化﹂
などがあるといいます。
さて、台湾仏教のもう一つの特徴は、冒頭の写真に見られるように尼僧の割合が極端に多いことです。
仏教の主要な四団体は
仏光山
慈済会
法鼓山
中台禅寺
ですが、台湾全体では、﹁出家衆︵比丘+比丘尼︶﹂は約 20,000人、その約75%が比丘尼︵尼僧︶。
︵出典‥中国仏教協会 1995年では約66%︶
例えば仏光山では、僧侶 1,800人のうち、実に8割が比丘尼︵尼僧︶です。
ここ7年間で327人の女性が出家しているということで、その増加傾向は顕著です。
そして、高学歴化が非常に目立ちます。
大卒188人、修士53人、博士4人・・・・・
つまり、台湾仏教は高学歴の若い尼僧たちによって支えられている訳です。
台湾の主な仏教僧侶教育機関は、福厳仏学院︵主に比丘が集まる︶と、円光仏学院︵主に比丘尼が集まる︶があり、入学には出家者か独身の在家であることが求められます。
入学資格は厳しいですが、その代わり、学費はすべて信者からの篤志により賄われるため、費用はかかりません。
また、日本の仏教系の教育機関と異なり、一般教養を含まないため、卒業しても高卒・大卒の資格が与えられないことが特長です。
台湾では、一般の大学が仏教学を主体とた学部︵例えば駒澤大学の仏教学部のように︶を持つことが認可されません。
その根底には中華民国・教育基本法による宗教学部の禁止という原則があります。
けれども、そのために、結果として既に学問を一通り終えてから、出家して仏学院に入学して仏教を学ぶという方も多いということです。
また、仏教団体・仏教者側は、社会活動を積極化しており、例えば花蓮県の慈済会のもつ病院では、貧しい人を救済し、テレビなどのメディアを使い積極的に法要・法話を放送しています。
台湾の仏教系の主なテレビ局は︵法界衛星・慈済・仏教衛星・仏光山︶があります。
医療、社会、福祉、教育活動に積極的に力を入れるのが台湾仏教の特長の一つともいえます。
その背景には、﹁︵一般企業においても、一般家庭においても︶利益を得た場合には、恵まれない人に還元する﹂という、台湾古来の考えが背景にあります。
中国における仏教の広がり方、その特長を見ていくと、仏教の展開についての一つの方向性が見えてくると思います。
国・地域によって仏教がかようにも異なって展開していくのかという好事例です。
日本においては、文化庁の纏めによると、僧侶の数の総合計約 220,000人となっておりますが、このうち比丘尼はどれくらいいらっしゃるのでしょうか。
某宗派の発行する新聞に、とある尼僧さんのことばが紹介されていました。
比丘・比丘尼の役割として、考えさせられることばです。
併せてご紹介します。
﹁女性僧侶の数は決して減っていないのですが、頭を剃り、結婚をせず、精進の生活を保つ﹃尼僧﹄が減っておりましてね。尼僧の寺の後継者不足は、いまとても深刻な問題です﹂
﹁仏教は今、世界的に注目されている宗教です。その担い手として尼僧は重要な役割を持つものです。男性僧侶のほとんどは、すでに在家の方と同じ生活となってしまった。そのなかで、尼僧の生き方は非常に大切な姿であると思うのです。﹂
男性僧侶が在家と同じ生活となってしまったから、尼僧が重要な役割を果たす・・というのは少しさみしい考え方ではありますが・・・・
むしろ、私は比丘・比丘尼それぞれがそれぞれの役割をお互いに果たして行くことで、日本の仏教は展開していくべきであろうと考えています。
参考文献
現代台湾仏教における師弟の育成について︵蓑輪顕量・愛知学院大学・人間文化18号︶
台湾仏教担う尼僧︵朝日新聞2007年5月4日朝刊記事︶