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2007年2月27日
中国で広がる宗教心 競争社会…信仰見直し
中国の経済発展が加速するにつれ中国人の伝統宗教への回帰が顕著になっていることが上海にある華東師範大学教授らの﹁当代中国人宗教信仰調査﹂で裏付けられた。かつて共産主義イデオロギーによって﹁アヘン﹂と排斥された宗教だが、市場経済の導入で厳しい競争社会が出現し、“神頼み”的信仰が見直されたためとみられる。
この調査は華東師範大学哲学科の劉仲宇教授ら学者数十人と調査員数百人によって約3年間にわたって実施された。2005年夏に中国全土で実施した調査によると、16歳以上の中国人の中で宗教を信仰する人は3割を超えた。単純計算で3億人以上にのぼる。
1949年に中国共産党が政権を取って以来、宗教、特に﹁治病﹂﹁災害除去﹂﹁順調加護﹂を念じる龍王廟などへの民間信仰に否定的な政策が採られたため、各地の廟が次々と破壊された。
厳しい宗教弾圧にもかかわらず、約1億人がひそかに信仰を続けてきたとみられている。今はその3倍に宗教人口が膨れあがったことになる。
信仰する宗教に関する調査ではカトリック、プロテスタント、イスラム教、仏教、道教だけで宗教人口全体の7割近くを占めた。中国における仏教、道教信仰は龍王廟などへの民間信仰と信者が重なる面が強いという。仏教、道教、民間信仰を合わせた中国伝統信仰への帰依は66%に達していた。
劉教授はこうした傾向について﹁中国社会はこの半世紀に激動を迎え、道徳水準の低下や人間関係の悪化、巨大な西洋文明からの衝撃などを経験した結果、精神のよりどころを失ったことが宗教心の増加の背景にあると思う。社会のエリート層にとっては伝統文化への回帰であり、庶民にとっては古くからの風習への帰依といえる﹂と説明している。
この調査結果を報じた雑誌﹁瞭望東方週刊﹂などは中国での宗教心の強まりについて﹁宗教心の強まりで精神が落ち着き、社会道徳が強まれば、和諧︵わかい︶︵調和のとれた︶社会に最適である﹂と、胡錦濤政権が進める﹁和諧社会建設﹂に有効だとしている。その一方で﹁宗教には二面性があり、一部の下心ある人に利用されれば社会の安定と破壊をもたらす﹂として現在、中国で禁じられている気功集団﹁法輪功﹂などを念頭に置いた懸念も示されている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070226-00000012-san-int
中国における宗教事情は、共産主義により徹底的に排斥されてきましたが、市場経済の展開に伴って、宗教の信仰が広がっているというニュースです。
確かに、中国では憲法により
第36条
中華人民共和国の国民は、信教の自由を有する。
いかなる国家機関・社会団体または個人も、国民に宗教の信仰または宗教の不信仰を強制してはならず、宗教を信仰する国民と宗教を信仰しない国民を差別してはならない。
国家は、正常な宗教活動を保護する。いかなる人も、宗教を利用して社会秩序を破壊し、国民の身体・健康を損ない、国家の教育制度を妨害するなどの活動を行うことはできない。
宗教団体と宗教事務は、外国の勢力による支配を受けない。
建前上はどのような信教であっても自由が保障されることになっている訳ですが、共産党政権による徹底的な宗教弾圧が行われた時期がありました。
その状況の中で、どのような形で宗教が広がっていくのかということは、とても興味深いものがあります。
人口自体の規模が桁違いですから、宗教人口も日本の比とはならないくらい膨大なものになりますね。
中国の宗教人口
信仰をもっているの割合 31・4%︵推計3億人・16歳以上︶
内訳
仏教52・7%
プロテスタント19・1%
イスラム教15・5%
道教10・2%
カトリック9・7%
[当代中国人宗教信仰調査・2005年]
背景は異なるにしても、日本における2つの大きな宗教の転機があり、その状況に重ねあわせて比較していくと興味深いものがあります。
その2つの転機の第1は、明治時代初期の﹁太政官布告神仏分離令﹂及び﹁大教宣布﹂などに起因し、全国的に廃仏毀釈運動が引き起こされ、仏教寺院や仏像などが破壊されていく時代です。
転機の第2は、敗戦後、GHQによる﹁農地解放﹂﹁政教分離﹂﹁信教の自由﹂です。
農地解放によって、寺院境内地の内、経済的な収入をもたらす田畑を失ってしまいます。また、政教分離によって僧侶の布教活動の場が限定され、また、国や地方公共団体の場から、徹底的に宗教的色合いが排除されてしまいました。
もちろん、元あったバックグラウンドが異なるわけですから、信仰を取り戻していく内容は全く同じであるはずはありませんが、現在の中国の宗教心の広がりは、戦後、日本が敗戦によって失った﹁日本仏教﹂の姿を、経済の成長に伴って取り戻していく過程に似ている部分があるように思います。
さて、日本における宗教事情は、高度経済成長が一旦足踏みし、バブルの崩壊から、いざなぎ景気へ遷移していく中で、第3の転機をむかえているように感じます。
そのキーワードは、﹁少子化﹂﹁格差社会﹂﹁脱宗教﹂といったことに集約できると思います。
少子化により、家族制度は失われつつあり、親から子への伝承のシステムが失われつつあります。
格差社会は、寺院にもあてはまり、都心部の寺院は宗教活動をしなくても収入源を多岐にわたり得ることが可能であり、逆に地方・過疎地域の寺院は、僧侶が入ることや寺院を維持することすらできないほどの状況であることも珍しくありません。
そして宗教施設に対する破壊行為も再び増えてきているということも残念で仕方がありません。
最近、境内建物や墓石が破壊されたり、石像の首が軒並み折られたり、そのような仏毀釈の時代の蛮行が繰返されています。
中国では、宗教人口が、伝統、モラルの破壊、市場化経済による競争社会、西洋文化との衝突の反動による新たな精神的拠り所を求めた結果として、エリート層には伝統文化への回帰、庶民には古くからの風習への帰依という形で拡大しているというニュースと、日本における宗教事情を振り返って比較すると興味深い結果が得られることでしょう。
これからの中国における宗教の展開に注目して行きたいと思っています。