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2006年2月 2日
DMV これって列車?バス? 北海道で営業運転へ
両用車両は鉄道マンの長年の夢だった。20世紀初めに英国が試作し、日本でも旧国鉄が開発を試みたが、いずれも失敗した。﹁当時は重量のある鉄道車両を道路を走らせる発想で、タイヤがもたなかった。周辺技術も未熟だった﹂と話すのは、DMV開発を指揮したJR北海道副社長︵技術担当︶の柿沼博彦さん︵62︶。
軽いバスを線路に乗せるという逆の発想で、02年から開発に着手。03年春に試作1号車が完成した。全長7.3メートルで乗客17人乗りの車両は、線路では四つの鉄輪を油圧で下ろして時速約70キロで走る。連結も可能だ。道路に出る時は鉄輪を引き込み、わずか10秒でバスに変身する。
JR北見駅?女満別空港間で昨年10月に行った走行試験では、連結した2両が北見?西女満別駅間は列車で、同駅と空港間を2台のバスとして走った。軽量化と積雪期の安定走行をテーマに試験を重ねる。
JR北海道は日高線などでの営業を検討。観光に活用し、旭川空港と紫のラベンダー畑が広がる富良野地区までを乗り換えなしで結ぶ構想も描いている。
◇課題は安全基準
開発の背景には、赤字ローカル線に悩む経営事情がある。DMVは1両2000万円とディーゼル車の7分の1で、燃費は4分の1。車重も7分の1と軽く線路保守の負担が軽減できる。
残る課題は法令に基づく安全基準。例えば、鉄道車両はトンネル火災に備えてシートや塗料を燃えにくい素材にする基準がある。DMVを列車と考えるか、バスと見なすか。国土交通省は実用化に向けた基準づくりを急いでいる。
私鉄や第三セクター鉄道の赤字に悩む地域の関心も高い。過疎地の鉄道利用者減は、これから一層深刻になるとみられるからだ。﹁それでも鉄道が必要という地域の皆さんがどんな工夫で交通網を残すのか、DMVは一つの提案﹂と柿沼さんは言う。
熱心なのが静岡県富士市。東海道新幹線新富士駅と東海道線富士駅の2.7キロをDMVで結び、私鉄の岳南鉄道を加えて環状線を作る長期構想を描く。鈴木尚市長も北海道に試乗に訪れた。千葉県は私鉄の小湊鉄道と第三セクターいすみ鉄道を結ぶシステムとして関心を寄せる。
昨年3月に名古屋鉄道が路面電車を廃止した岐阜市では、線路を残してDMVを導入出来ないか検討中。海外では、東欧のスロバキアが線路敷設が難しい山岳地帯での導入を目指し、JR北海道に打診している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060201-00000023-maip-soci
このニュースを見て、真っ先に思いついたのは、福井の京福電気鉄道永平寺線に運行利用できないかということでした。
永平寺線は、かつて福井県坂井郡金津町︵現あわら市︶の金津駅と、吉田郡永平寺町の永平寺駅とを結んでいた京福電気鉄道の鉄道路線ですは、残念ながら2002年に全線が廃止されてしまいました。
東古市での列車衝突事後が廃止にとどめをさしてしまいました。
■一度目の事故 2000年12月17日
午後、永平寺始発の上り電車が東古市で停車せず、オーバーラン。東古市に差し掛かっていた下り電車と正面衝突し、死傷事故となった。越前本線・松岡?勝山は12.18夜には復旧したが、永平寺線は現場検証、運行可能車両の減少等のためバス代行を続行。国土交通省の点検を受けた後、2001.02.23に再開
■二度目の事故 2001年6月24日
越前本線保田?発坂間の踏切で、勝山行き急行と福井行き普通列車が正面衝突し、25人が重軽傷。2000.12に続き、再度の正面衝突事故を重く見た中部運輸局は、全路線の運行中止を指示。同24日21時過ぎからバス代行となった。会社側はすでに1992年以降、鉄道の廃止方針を表明、福井県と沿線自治体が欠損補助を受け続けていたため、﹁施設改善は3セク化が前提﹂として2001.10.19、1年後の廃止予定を届出。県と沿線自治体は翌月、永平寺線以外の2線の3セク化で合意したが、永平寺線は運休を続けた上で、予定通り2002.10.21に廃止となった
現在は、2回の事故という試練を経て、第三セクターという形で2003年10月、えちぜん鉄道として、東古市?永平寺間を除いて路線が復活しています。
しかしながら、永平寺線の東古市?永平寺間6.2kmは、廃線が決定して以来、線路が次々と取り外されてしまっています。
やはり、永平寺門前の前まで列車で行くことができるという利便性はとても大きいものです。
福井駅から永平寺口駅までは鉄道路線の上を走り、そこから廃線に平行して通っている道路に移り、永平寺駅まで、直通する鉄道バス両用車両を導入していただけないでしょうか。
えちぜん鉄道さん、検討をお願いします!