« 雪の境内 |
最新記事
| H2A8号機打上げ成功?「だいち」を分離 »
2006年1月22日
﹁いただきます﹂って言ってますか? ﹁給食や外食では不要﹂ラジオで大論争
TBSラジオ﹁永六輔その新世界﹂︵土曜朝8時半?、放送エリア・関東1都6県︶で昨秋、﹁いただきます﹂を巡る話題が沸騰した。きっかけは﹁給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた﹂という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて﹁いただきます﹂を考える。
◇﹁私の場合﹂を募集
手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん︵72︶が﹁びっくりする手紙です﹂と、次のように紹介した。
︽ある小学校で母親が申し入れをしました。﹁給食の時間に、うちの子には﹃いただきます﹄と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか﹂と︾
番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった。あるリスナーは﹁私は店で料理を持ってきてもらった時﹃いただきます﹄と言うし、支払いの時は﹃ごちそうさま﹄と言います。立ち食いそばなど作り手の顔が見える時は気持ちよく、よりおいしくなります﹂と寄せた。
一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあった。﹁食堂で﹃いただきます﹄﹃ごちそうさま﹄と言ったら、隣のおばさんに﹃何で﹄と言われた。﹃作っている人に感謝している﹄と答えたら﹃お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ﹄と言われた﹂との内容だ。
また、申し入れを支持する手紙も数通あった。学校で﹁いただきます﹂を言う際、手を合わせることに﹁宗教的行為だ﹂、と疑問を投げかける人もいるという。
永さんは、中華料理店を営む友人の話を紹介した。その友人は﹁いただきます﹂と聞くとうれしいから、お客さんの﹁いただきます﹂の声が聞こえたら、デザートを無料で出すサービスをした。後日、永さんがサービスを後悔していないかと尋ねたところ﹁大丈夫です。そんなにいませんから﹂と言われたという。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
◇﹁大切なのは食べ物を大事にできているか﹂??永六輔さんに聞く
◆学校給食で﹁いただきます﹂を言うことへの抵抗は、以前からありました。それは、両手を合わせる姿が特定の宗教行為、つまり仏教に結びつかないか、という懸念です。宗教的なことを押し付けるのは僕も良くないと思います。でも﹁いただきます﹂という言葉は、宗教に関係していません。自然の世界と人間のお付き合いの問題です。
﹁お金を払っているから、いただきますと言わせないで﹂というのは、最近の話です。命でなく、お金に手を合わせちゃう。会社を売り買いするIT企業や投資ファンドにも共通点があると思います。話の発端になった母親は﹁いただきます﹂を言うかどうかを、物事を売る、買うという観点で決めているのでしょうね。売り買いはビジネスですから、そこに﹁ありがとう﹂という言葉は入ってきません。﹁ありがとう﹂に準ずる﹁いただきます﹂も入ってこない。ただ、そういう母親がいることも、認めないといけないと思います。
??永さんは、どういう意味合いで﹁いただきます﹂を。
◆﹁あなたの命を私の命にさせていただきます﹂の、いただきます。でも僕は普段、家では言ったり言わなかったり。ましてや、他人には強制しません。絶対言わなきゃいけないとは思いません。きちんと残さないで食べれば、﹁いただきます﹂と言って残すより、いいと思うんです。
貧しい国には飢えて死んでいる人がいる。日本で残して捨てているご飯があれば、助かる子供たちがいっぱいいるわけでしょう。食べ物を大事にできているかどうか。言わないのが﹁ひどい﹂と反対することではない、と思います。
??言っても、言わなくてもいいと。
◆普通に会って﹁こんにちは﹂、別れるときに﹁さようなら﹂。何かの時に﹁ありがとうございます﹂﹁すみません﹂﹁ごめんなさい﹂という、普通の会話の中に﹁いただきます﹂は当然入ってくると思うんです。特別に﹁みんなで言おう﹂というのはおかしい気がします。言っても言わなくても、大声でも小声でつぶやくだけでも、思うだけでも、いいことにしましょう。
﹁いただきます﹂ ﹁ごちそうさま﹂ ﹁もったいない﹂ ・・・・・
これらは、日本の良き習慣として、日本人の誇るべき言葉だと思います。
欧米には、﹁いただきます﹂﹁ごちそうさま﹂に該当する習慣がありません。食卓についてから、何も言わずにいきなり食べ始めることも当たり前なのですが、しいて﹁いただきます﹂を訳せば
家族の食事では Let's eat!
招かれた食卓では Looks delicious. とか、Thank you for the meal.
というように、食事に対するお礼や料理のほめ言葉となってしまいます。
同様に、﹁ごちそうさま﹂を言う習慣も欧米には無いですから、 I'm finished. とか I'm done. とか I'm full.・・・・ 料理を褒めるなら Everything was delicious. ・・・・
味気ない表現だと思いませんか?
このような考えが基礎にあると、お金を払っているから﹁いただきます﹂を言わなくても良いという考えに結びつくのでしょう。
私は、このような考え方は人間の傲慢に過ぎないと思いますし、物を大切にする心も育まれないと思います。
ノーベル平和賞を受賞されたワンガリ・マータイ︵Wangari Maathai︶さんは、、﹁もったいない﹂という言葉を知って感銘を受け、世界に広める活動をされています。
これも、日本人古来の良き考え方であります。
私たちの誇りにするべき文化でもあります。
﹁いただきます﹂、﹁ごちそうさま﹂、﹁もったいない﹂、﹁ありがとう﹂・・・
これらは特定の宗教に由来するものではありません。
﹁いただきます﹂のこころを、禅のこころで咀嚼したものが、修行道場で食事の前にお唱えする五観の偈︵ごかんのげ︶です。
一には 功の多少を計り彼の来処を量る
︵おいしさを つくってくれて ありがとう︶
ニには 己が徳行の全欠を忖って供に応ず
︵ふり返ろう 私のおこない その心)
三には 心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす
︵言わない やめよう 好き嫌い︶
四には 正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり
︵身をつくり 心をつくる よき薬︶
五には 成道の為の故に 今此の食を受く
︵いただきます 今を大事に 生きるため︶
※︵ ︶内は、全曹青により平易に訳されたものです。
五観の偈は、唐の南山大師道宣が著した﹃四分律行事鈔﹄に由来し、道元禅師の著作﹃赴粥飯法﹄によって広く知られるようになったものですが、道徳的普遍性の高い文章であるため禅に限らず多くの分野で引用されています。
この、﹁道徳的普遍性﹂という点が重要です。
﹁いただきます﹂のこころは、永六輔さんもおっしゃっていますが、要は﹁大切なのは食べ物を大事にできているか﹂ということでしょう。
その一つの解釈として、五観の偈をご紹介しましたが、人それぞれによって解釈が異なっても構わないと思います。
みなさんはどのように感じましたか?
おすすめの本
いただきますからはじめよう みんなの食育講座
毎日新聞北海道支社報道部/編 寿郎社
ISBNコード 4-902269-10-4 価格(税込) 1,260円
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31441553