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東から朝日が昇ってきました。
この日は能登半島の日本海側から富山湾側へ。
能登半島地震においては、揺れによる直接的な被害の他、津波による被害も発生しました。
日本海側の津波は、地震発生から津波が到達する時間が短いことが特徴で、今回の地震においても珠洲市では約3メートルの津波が1分で到達したことが判明しています。
また、能登半島、富山湾という地形の特徴から何度も波が押寄せ、長時間続いたともいわれています。
日本海側の輪島市など外浦では、地盤が4メートルほど隆起したことにより津波は遡上せず、富山湾に面した内浦の珠洲市や能登町にその波のエネルギーが半島を廻り込んだとの解析結果があります。
珠洲市宝立の見附島から震災復興支援ツアーのガイドさんに案内していただきました。
ガイドさん自らも被災され、仮設住宅にお住まいになっています。
まずは、地震により主に南東側が崩落してしまった見附島へ。
見附島は別名軍艦島と呼ばれており、その名の通り戦艦のような雄大な姿で有名な景勝地でしたが、大きく形を変えてしまいました。
地面も隆起したことにより、海岸の景色も変わってしまっています。
ここには、「えんむすびーち」のベルがあり、砂浜の南側にある「恋路海岸」のベルと対になっていました。
しかし、地震で破損して鳴らせない状態が続いています。
ただ、ベルの下にあるハート形のプレートは割れずに被害を免れています。
宝立地区の仮設住宅と集会所。
将来は、集合住宅として恒久的に利用できるように設計されています。
見附島直ぐ近くの市立宝立小中学校。
現在は生徒たちが授業を行っていますが、震災発災からしばらく避難所としての役割をはたしており、校門前のスペースで炊出しが行われ、被災者に提供されていました。
避難所は体育館ではなく、教室が利用されました。部屋が区切られているため、また、エアコンが設置されているため、寒さや暑さをしのぐことができたということです。
体育館は、物資受入の倉庫として活用され、全国から寄せられた物資の集積所として大きな役割を果たしました。
現在は通常の授業が行われてはいますが、校庭に仮設住宅が建てられたため、当面の間グラウンドが使えません。
町内会のバザーで頒布した布製品を、宝立町鵜飼地区の集会場に寄託させていただきました。
この周辺も津波の被害が大きかった場所です。
内浦沿いに北上し、珠洲市飯田港へ。
地震による揺れや隆起により、埠頭設備は損壊してしまったままの状態でした。
この場所から富山湾越しに望む立山連峰がとても印象的でした。
かつての能登鉄道 珠洲駅(現在は廃線)は、道の駅すずなり として利用されています。
(ホームのコンクリート板が波打ってしまっていてベンチの足が浮き上がっています)
道の駅すずなりでも、地震・津波で被害を受けた店舗が仮営業しており、お土産やお弁当が販売されています。
イートインコーナーもあります。
被災建物の解体作業は、輪島市よりも珠洲市の方が進んでいて、蛸島町の集積場には解体され分別された資材が次々と運び込まれています。
また、ボラキャンの拠点となっているオートキャンプ場も隣接しています。
珠洲の銘菓、たいこ饅頭の仮店舗が営業していたので立寄らせていただきました。
宿泊施設やお土産物、飲食店などは徐々にではありますが営業を再開し始めています。
多くの方にお越しいただきたいとのことですので、旅行をお考えの方は候補の一つに挙げてみてはいかがでしょうか。
豊かな自然と美しい景色も体感できることと思います。