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神奈川県戦没者慰霊堂での月例祭(月例追悼式)が行われました。
今月は通算で669回目の月例祭となり、南・港南区仏教会が法要担当になりました。
法要は浄土真宗本願寺派(大谷派)の法式により行われました。
(戦没者慰霊堂内部および法要の写真はありません)
毎年5月10日には、神奈川県主催の 神奈川県戦没者追悼式 が行われているほか、関係団体の追悼行事が行われています。
その他、1月を除く毎月、各宗教宗派が担当で、慰霊祭を行っています。
このように、県の慰霊堂施設で「一般戦争の犠牲者を戦没者、戦災死者含めて祀られている」「一宗一派に偏せず、神道、仏教、キリスト教による合同祭儀が行われている」というのは、神奈川県の大きな特徴です。
今回の月例祭には100名近くのの遺族関係者の方が参列されました。
戦後の時を経るに従い、参列者の高齢化が進み、また、参加者の減少も懸念されるところです。
しかしながら、この戦没者慰霊堂の役割は永続的なものでありますし、慰霊の意義を失うことなく続けていくことが宗教者である私たちの役割であると考えています。
以前曹洞宗式にて行われた際のブログ記事も併せてご参照ください。
戦没者慰霊堂は昭和27年の対日講和条約の発効を機に、明治以降の戦争における戦没者、戦災死者を追悼するとともに、県民の平和愛好の象徴として建設され、戦没者及び戦災死者 5万8千余名の名簿が納められ、遺族の心のよりどころとなっています。
慰霊堂は、緑に囲まれた見晴らしのよい台地にあり、桜の名所ともなっています。
また慰霊堂の東の麓にはは、 「かながわ平和祈念館」があり、皆様にくつろいでいただくための休憩コーナーや戦没者の遺品展示ホール、ライブラリーなどがあります。
■追記
神奈川県戦没者慰霊堂が建つ丘では、かつて亜炭が採掘されておりました。
→関連ブログ記事
港南区の炭鉱と戦争の影
亜炭を運ぶトロッコ
昭和6年に撮影された写真をご紹介します。
この写真が撮影された場所「和田山」は、現在の戦没者慰霊堂の丘です。
大正時代から戦中にかけて貴重な燃料資源としての亜炭が採掘されていたという事実を物語る貴重な資料です。