松ヶ崎横穴古墳群追跡調査

明朋高校の協力を得て、馬場先生、港南歴史協議会有志による松ヶ崎横穴古墳群の追跡調査が行われました。
松ヶ崎横穴古墳群は港南区(港南台9丁目)に唯一残っている横穴墓群であり、2015年には横浜市の地域文化財に指定されています。

この古墳については『港南の歴史』の中に松ヶ崎古墳5穴として記載されている他、地元の歴史研究家には別の場所の横穴墓の存在が知られ、呼称が統一されていない問題がありました。また、有効な保存対策を行ってこられなかったことから、土砂の侵入による古墳群の劣化が懸念されます。

当ブログにおいては、これまで何回か松ヶ崎横穴古墳群に、亀野私見をまとめて記事を書いています。
まずは、これまでの記事をお読み下さい。

松ケ崎横穴古墳群の現状
(September 22, 2010)
松ヶ崎古墳現地調査 (January 25, 2011)
松ケ崎横穴古墳群への私見 (January 27, 2011)


2010年9月の調査から8年半が経過し、どの程度変化が見られたかを確認します。

まずは、松ヶ崎横穴古墳群の概略について。
これまで、私の目で確認できた古墳を①~⑦の番号でプロットしています。
うち、①~⑤は『港南の歴史』に記載のある5穴、⑥⑦は2010年9月に新規発見した2穴です。

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【横穴墓①】北緯35° 22’ 08.67” 東経139° 34’ 21.09”

まずは横穴墓①

開口部の周囲に葛などの根が張っており、劣化が心配されます。
また、土砂の流入も見られます。
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【横穴墓②】北緯35° 22’ 08.80” 東経139° 34’ 21.30”

次に横穴墓②

こちらも開口部周囲に根が張っており、劣化が心配です。
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横穴墓③は、↑横穴墓②の右3.3mにあるはずなので、↑写真の右に写っている開口がそうだと思われますが、埋没により内部が確認できませんでした。
土砂を掘り出すなどの処置が必要なのかもしれません。
馬場先生の記録によると奥室があり、奥行き3.63mほどの横穴墓だったようです。

横穴墓④は確認できませんでした。



【横穴墓⑤】北緯35° 22’ 09.21” 東経139° 34’ 21.56”

横穴墓⑤と思われるものがこちらです。
2011年に見つけた時よりも開口部がさらに小さくなってしまっており、太い葛の根によって浸食されようとしています。
カメラを通すのがぎりぎりの大きさなので、カメラを中に入れて撮影をしてみました。
⑤の内部をきれいに撮影できたのは今回が初めてのことです。(2011年の時は上手く撮影できませんでした)
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【横穴墓⑥】北緯35° 22’ 09.28” 東経139° 34’ 20.40”

2010年9月に亀野が見つけるまでは、『港南の歴史』に記載も無く見逃されていた横穴墓⑥
規模としては、松ヶ崎横穴古墳群最大級のものです。

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こちらは内部に入ることも可能な開口の大きさが確保されています。
中から穴の外を見るとこのような感じです。

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横穴墓⑦は、この日は確認できませんでした。

今回の調査により、松ヶ崎横穴古墳群の保存対策が早急に行われなければならない現状も見えてきました。
今後の具体的な保存対策を期待します。

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※松ヶ崎古墳に限らず許可無く敷地内に入ったり、専門家の立会い無しで穴に入ることは絶対にお止めください。

投稿者: kameno 日時: 2019年3月20日 01:57

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