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出雲大社は正式名称は「いづもおおやしろ」。
神話の世界、大国主神が天津神に国譲りにあたって、その代償として天孫と同じ規模の宮殿を建てて欲しいと求め、造営されたのというのが由緒縁起です。
創建以来、大神様にお仕えした天穂日命を始祖とする歴代の国造により現在まで守られてまいりました。
昨年(平成25年)に60年に1度の御遷宮が行われ、新しい節目の時代がスタートしています。
→出雲大社平成の大遷宮(公式サイト)
曹洞宗梅花流全国奉詠大会島根大会の行程として、2回めの出雲大社を梅花講の皆さまと参拝しました。
→1度目の参拝の様子はこちら
手と口を清めてから鳥居をくぐります。
出雲大社は、参拝のルートがきちんと決められています。
くれぐれも逆回りをしないようにしましょう。
現在の本殿は延享元(1744)年に造られ、高さは8丈(24m)です。
かつての本殿は現在よりもはるかに高く、平安時代『口遊・数え歌』の「雲太、和二、京三」、つまり、出雲太郎=1位
出雲大社本殿、大和次郎=2位 東大寺大仏殿、京三郎=3位 京都大極殿ということで、大和の東大寺よりも高い建物であったという伝承がありました。
太古の時代に16丈(48m)もの建築物が、はたして建造可能であったのかが疑問でした。
しかし、平成12(2000)年の発掘調査で、境内から古代末の3本を束ねて1本にした巨大な柱が発見されました。
(出雲大社参拝記念絵葉書より引用)
この柱は1本が直径約1.3m、3本を束ねた直径は3mもあります。
実際に柱があった場所に印が描かれています。
バス1号車の皆さんで記念撮影。
これを元に、かつての本殿を再現すると、このようになるそうです。
常識をはるかに超越した壮大なスケールですね。
現代では、材料の調達すら困難ですから、建築は不可能でしょう。
かつての建設技術の高さを物語っています。
(CCウィキペディア 出雲大社項より引用)
出雲大社はいたるところでスケールの格の違いを感じることが出来ます。
神楽殿前の国旗掲揚塔は、古代の本殿の高さ16丈(48m)とほぼ同じ高さとなっています。
縦9m×横13.6m(75畳)もある日の丸が雄大にはためいています。
旗を畳むのも大変ですね。
おみくじの結び方も壮大。
隣には神無月(神有月)に八百万の神が集まる神殿がありますので、日本各地からの「願い」を集約して其々叶えていくのでしょう。
みんなの願いが叶うといいですね。
これが式年遷宮の限定お守り「蘇守」です。
遷宮の年にしか頒布されません。
巨大注連縄に硬貨を投げ、挟まると願いが叶うという「うわさ」が広まっているようですが、これには根拠が全くありません。
神楽殿の隣には出雲大社宮司、出雲国造の千家家のお屋敷があります。
神楽殿前で、NHKためしてガッテンの撮影があり、参加の一人がインタビューを受けました。
放送されるでしょうか。
出雲市の街路樹が松になっている箇所がありました。
さすがですね。
神々の故郷をめぐる旅。
今度はゆっくりと訪れてみたいものです。