街ができる 東戸塚編

写真を整理していて、懐かしいものが出てきました。
まず最初に、こちらの写真を。
どこを写した写真か分かりますか?

 

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東戸塚駅が開業する直前に、現在の品濃小学校前交差点付近から撮影した、東戸塚駅東口の光景です。
昭和55(1980)年3月17日に撮影しました。
4つのタワーマンションが林立し、ダイエーと西武デパートから成るオーロラシティーのある場所も、駅前開発当初はこのような光景が広がっていました。

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視点を少し左に転じ、東戸塚駅の方向を眺めると、このような感じ。
駅の開業は昭和55年10月1日ですから、半年先の開業に向けて急ピッチで工事が進められている様子が分かります。

当時は、東海道線と横須賀線の電車が同じ線路を走っており、左上写真の一番左側には貨物線。その間に新しく横須賀線専用の路線を新設して、そこに東戸塚駅を造っています。
これにより、東海道線と横須賀線が分離され、東京方面への旅客輸送量が格段に増えました。

二番目の写真と反対側、東京方面から東戸塚駅を眺めた写真がこちらです。

20121219-04

この場所に駅ができる計画は、明治20年からありました。
大正2年には、武蔵駅という名前で設置が具体的に決まっていましたが、大正15年に発生した関東大震災により駅の計画は白紙に戻されます。
震災が無ければ東戸塚周辺の街の形成は大きく変わったものになっていたことでしょう。

その後、戦後の高度経済成長に伴う都市周辺の人口増加によって、
昭和39年「東戸塚開発 80 万坪総合マスタープラン」
昭和45年「東戸塚上品濃中央土地区画整理事業」認可
昭和52年 熊谷組による土地買収
昭和57年 駅前マンション分譲開始
昭和60年 東戸塚中央街区特定街区の認定
昭和63年 超高層マンション着工
平成10年 中央街区商業棟着工
というように、次第に現在の街が形成されていきました。


東戸塚駅の建設には、不動産開発会社「新一開発興業」社長、福原政二郎氏の存在が大きく、駅の建設費30億円の大半を拠出されたそうです。
民間主導の東戸塚開発は、「新一開発興業」と「熊谷組」を中心に進められていった珍しい形態の都市計画事業だったのです。



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投稿者: kameno 日時: 2012年12月20日 01:05

コメント: 街ができる 東戸塚編

現在の東戸塚駅近くの品濃トンネル手前に牧場があったのを思い出します。車窓から牛の姿を見る事が出来ましたが、いつの間にかなくなってしまいましたね!

ちなみに中左写真に113系の隣に写っているのは153系ですか?懐かしいですね!

投稿者 ハマちゃん | 2012年12月20日 17:50

ハマちゃん様
牧場は、今でもアイスクリーム工房として現存していると思います。
ここに紹介仕切れなかった写真に懐かしい電車もたくさん写っていますので、追って順次ご紹介できればと考えています。

投稿者 kameno | 2012年12月20日 22:54

私が生まれる、2年前ですね✨

以前、横須賀線113系がビルの建設現場を行く夢を見た事があり、写真の東戸塚駅建設現場と似た夢を見ました✨

よろしければ、悪用しないのを条件で、facebookで、以前、私が見た、建設現場を行く、横須賀線113系の内容を紹介したのに当たり、工事現場の東戸塚駅建設現場を行く写真をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか?

投稿者 竹下文浩 | 2019年5月 5日 22:56

竹下様
コメントありがとうございます。
当ブログの写真について、記事ページの右フレームにある(CC)クリエーティブコモンズに従っていただければ自由にお使いいただいて構いません。
https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/2.1/jp/
よろしくお願いいたします。

投稿者 kameno | 2019年5月 5日 23:36

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