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5月19日、上永谷富士見台自治会館(港南区上永谷2丁目2番地)において創立50周年記念写真展「ふじみ今昔物語」が開催されました。
富士見台地区住民の方々により撮影された「まちの変貌」を纏めた写真パネル展示です。
富士見台という名が示すように、南~西向きに開けた高台にある地区で、上永谷駅周辺や富士山もよく見渡すことができます。
その中からいくつか。
(同じ場所の現在の写真が並べてあります)
1969(昭和44)年。
中央やや右の山が「丸山」。丸山台の地名の由来になった山は、この数年後に始まる丸山台造成により、全て削られてしまいます。
中央やや左の谷戸と丸山の境に「鎌倉古道下之道」が通っていました。でいだらぼっちの歩いてきた伝説の道でもあります。
いかにもでいだらぼっちがやってきそうな雰囲気ですね。
1975(昭和50)年。
丸山台の造成工事、地下鉄建設が進んでいます。
地下鉄の開通はこの翌年。
左写真中央にあった丸山はすっかり削られてしまいました。
左奥に野庭団地の一部が見えます。
右写真には貞昌院の裏山、天神山が映っていますが、この数年後に、地下鉄線路延伸工事により、天神山の地下鉄線路より南部側は削られてしまいます。
1977(昭和52)年。
横浜市営地下鉄「上永谷駅」が開業した翌年です。
丸山台の造成と上永谷駅の開業により、周辺の環境は激変しました。
上永谷駅手前に遊水地が完成、写真奥に野庭団地が見えます。
2012(平成24)年。
遊水地の上部利用として、ゴルフ練習場が建てられ、その後、高層マンションが建設されました。
1977(昭和52)年、開業した翌年の上永谷駅南側道路。
まだバスロータリーが整備されていないので、バスはここを通り、発着していました。
バス停の向こうには、造成途中の天神山(貞昌院の裏山)が見えます。
同じ場所の現在の写真が並べてあります。
1963(昭和38)年、馬洗橋~島越バス停を結ぶ「富士見台のメインストリート」
この頃は、舗装されている道路は珍しく、ここも砂利道です。
電柱には細い電線が張られているだけ。
各家庭にある電化製品も少なく、電気代も大変高い時代でした。
御神輿は手作り。毎年お祭りの際に多くの子どもたちが担いで練り歩きました。
同じ場所の現在の写真が並べてあります。
このほか、たくさんの写真展示があり、どれも地域の記録を伝える貴重な写真ばかりでした。
自治会単位で、地域に特化したこのような写真展示が行われるということはとても意義深いものだと感じます。
自治会館では、写真展示のほか、餅つきも行われ、多くの家族連れでにぎわっていました。
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この光景も、50年後にはきっと懐かしいアーカイブとなることでしょう。
■関連リンク
国土地理院空中写真
昭和53年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/ckt-77-1/c10/ckt-77-1_c10_41.jpg
昭和58年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/83/ckt-83-3/c9b/ckt-83-3_c9b_12.jpg
昭和63年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/88/ckt-88-2/c8/ckt-88-2_c8_25.jpg
亀野さん、おはようございます
本当に素晴らしい写真展でした。当に「地域デジタルア-カイブ」を僅か200世帯の地域の皆さんで行ったのですね。今から50年以前、この地域で行われていた小規模住宅地開発の様子も写真展で示されていました。「私道」を「市道」へ「上地」する事により進められて来た「街づくり」の様子、地域の皆さんがご苦労されてこられた様子を夫々の写真中から拝見する事ができました。会場で、当時の様子を語られた地域の皆さんの「声」を録音しておくべきでした。
殊に、環状2号線の北側から南側を眺望した写真は素晴らしかったです。
投稿者 ちのしんいち | 2012年5月20日 11:05
ちの様
そうですね、地域にはまだまだたくさんの写真が残されています。
それらが地域にとって大切な財産であるという認識が根付いてきたことは成果の一つです。
大切な財産をきちんと後世に引き継いでいきたいものです。
投稿者 kameno | 2012年5月20日 11:26