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最後の被災列車撤去完了 東松島・JR仙石線
東日本大震災の影響で、JR仙石線の野蒜―陸前小野(ともに宮城県東松島市)間に残されていた列車が8日、9カ月ぶりに撤去された。JR東日本管内で、震災後に取り残された車両の撤去が完了した。作業は午前9時ごろ、東松島市野蒜の鳴瀬川橋梁(きょうりょう)付近で始まった。線路上にある4両編成の列車を、クレーン車で1両ずつ慎重につり上げ、トレーラーに積み込んだ。
車両には、さびなどが見られるものの大きな損傷はなかった。仙台車両センター宮城野派出(仙台市宮城野区)まで陸送され、点検を受ける。
列車は3月11日、あおば通発石巻行きの下り快速として運行していた。震災直後に野蒜駅から600メートル離れた高台で緊急停車し、浸水を免れた。乗客ら約60人は翌日、線路を歩いて避難所まで移動した。
仙石線は一部区間の線路が津波で流されるなどの被害を受け、高城町(宮城県松島町)―矢本(東松島市)間が不通となっている。
(河北新報 2011年12月09日)
東日本大震災で取り残された被災列車の最後の車両の撤去作業が今日ようやく完了しました。
震災後、鳴瀬川沿いの県道を何度となく近くを通るたびに止まったままの4両編成の車両を眺めてきました。
⇒ブログ記事止まったままの仙石線 (右写真は10月26日撮影)
その止まったままの列車が9ヶ月を経てようやく撤去されました。
東日本大震災の発生時刻には、数多くの列車が走行中でした。
また、太平洋沿岸地域では震災後襲ってきた津波により、線路設備や列車に大きな被害がもたらされました。
しかし、日本全国を走っていた列車の乗客の中で、東日本大震災により亡くなられた方は数名でした。
(その数名は、くしくもこの列車と同じ時刻に野蒜駅を反対方向に出発して直ぐに被災、運転手、車掌さんによりマニュアルどおり指定避難所に避難誘導された後に襲ってきた津波によるものでした。心より哀悼の意を表します)
東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線では新地駅、坂元駅が津波により崩壊。新地駅では4両編成の列車が脱線、大破したが、乗客・乗員は事前に全員避難し死傷者はなかった。浜吉田駅 - 山下駅間で日本貨物鉄道(JR貨物)のコンテナ貨物列車が脱線したが、機関士は無事であった。勝田駅 - 水戸駅間で盛り土が変形し、レールは100メートル以上にわたってゆがんでいる。仙石線では東名駅 - 野蒜駅の間を走行中の4両編成の列車が津波に流されて脱線した。乗客は津波の到達前に乗務員の誘導によって近傍の野蒜小学校へ避難したが、その後小学校を襲った津波によって数名が亡くなった。また野蒜駅 - 陸前小野駅間を走行中の列車も脱線したが辛うじて津波の被害を免れ、乗客は翌日救出された。山田線では宮古駅 - 磯鶏駅間で第34閉伊川橋梁が流出した。気仙沼線では最知駅 - 松岩駅間で列車が脱線し、運転士から旅客を救助した旨の報告があった後連絡が取れなくなり、列車が一時行方不明となっていた。大船渡線では、盛駅付近および大船渡駅 - 下船渡駅間の列車から避難の連絡があった後、一時連絡が取れなくなった。これらの一時的に連絡が取れなくなった全ての列車で、乗客全員が事前に避難し、乗務員が無事であったことが3月12日までに確認された。
(ウィキペディア「東日本大震災による鉄道への影響」項より引用)
鉄道を建設する方々、維持管理する方々、そして列車運行に携わる運転手、車掌、駅員・・・数多くの鉄道マンたちにより、数多くの命が守られました。
そのことは、つくづく世界に誇るべきことだ感じます。
仙石線の東松島市の区間(現在も不通の区間)は、恐らく別のルートに敷設し直されるか、レールバス方式の運行に変更されることでしょう。
したがって、この仙石線野蒜地区の線路も、被災列車と同じようにまもなく撤去されるはずです。
運行形態が変わっても、震災の記憶が失われないよう継承されていく仕組みをつくることも大切だと思います。
一日も早い仙石線全体の復旧を願います。
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