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貞昌院・永谷天満宮とも縁の深い永野小学校。
明治25年11月3日に永野学校として創立して以来まもなく120周年を迎えようとしています。
小学校には貴重な資料が保管されております。
現在、永野小学校土曜塾を中心に、港南歴史協議会などでデジタルアーカイブ化を行っています。
併せて、特に写真資料について、縁のある方々で回覧し、情報を付加していく作業が進められています。
撮影された場所、年代、写されている人物、建物など一つひとつを検証しながら行っています。
だいぶ特定されてきました。
写っている方や、その写真の場面を共有している方がいらっしゃると作業は飛躍的に早まります。
(もちろんなかなか検証が進まない写真も多いですが地道に進めています)
さて、永野小学校の現在の校歌は、おおぞらーは・・・の歌詞で始まります。
「永野小学校校歌」
作詞:蕪木直行 作曲:松井健祐
http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/es/nagano/kouka%20kateiban.html
作曲された松井先生直筆の楽譜を御紹介いたします。
松井先生のお人柄を表すような楽譜ですね。
このように、元来別の校歌があったため、最初は「永野小学校こどもの歌」として作られたものでした。
松井健祐先生は菩薩である。
先生を知る人ならこの言葉に誰もが共感をおぼえるだろう。
メガネの奥からいつもにこにこと私たちを甘守り、優しく穏やかな口調で話されていた先生。
いつ、どこで会おうともその笑顔、その温かい声は変わらない。
そして先生に接していると心があかるくなるのである。
作曲家としての業績もさることながら、先生はまた音楽教育においてすばらしい足跡を残された。教育者になるべくして生まれてきたような方である。先生の教えは、はめることに始まりはめることで終わる。
人の才能を見つけだし、引き伸ばしていくのにも一種の才能がいるとすれば、先生はそのことにかけ天賦の才をおもちだったようだ。
そしてその人柄故、多くの人が先生を慕って集まり、先生の薫陶を受けて社会に旅立っていった。
しかし先生の人生においては音楽だけがすべてだったというわけではない。学生時代はサッカーの名フォワードとして活躍、その腕前は日本代表にまで選ばれたほどである。他にスキー、水泳などスポーツマンとしても知られていた。そして忘れてはならないのが奥様の存在であろう。先生は奥様の事を「チューリップ」と称されていらした。英国紳士然とした先生に優しい笑顔で寄り添う奥様...。あらためて今、先生の写真を拝見していると、奥様の笑顔で先生はとても幸せな人生を過ごされたのではと思う。
(松井先生を語る「松井先生を偲んで」より)
昭和45年5月25日、このこどもの歌が正式な「永野小学校校歌」として制定されました。