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わたしたち にんげんの げんごのりうょくは とても じゅなうん で かつ あいまい に できいてる こと が よくわりかますね。
こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。 この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげは たんご を にしんき する ときに その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。 どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
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mirakui::tumblr
> kameno先生
とても面白いですね。本当に読めました。そもそも、さまざまな「書体」があるのも、同じような理由ではないか?と思った次第です。まぁ、使っている機能が若干違うかもしれませんけどね。
投稿者 tenjin95 | 2009年5月 8日 16:30
tenjin95さん
おもろしいですね。
けっきょく しくかてき じうょほうを のうが かってに そゃしくして はんだしんて いるとういことが よくわりかます。
にほごんの しょいたは もともと たがてきに てきした ものでしたが メイリオ など よがこきで よみすやい しょいたも でてきしまたね。
えいぶんの もじつれにも どうような ことが あてはまるたみいです。
投稿者 kanemo | 2009年5月 8日 18:44
このような事柄もコミュニケーション論や情報理論の一翼を担う事柄ですね、、、。
人の能力のフレキシブルなところです、、、。
復元性とか可塑性とか言う事でもあるのでしょう、、、。
投稿者 マレーネの父親 | 2009年5月 9日 09:14
マレーネの御父さん
にんげんの のうが かじょうに じうょほう を ふげくん しよとうして もとの ぶんょしう の いみ から かけなはれた とらかえたを してましう ことも あるのしでょうね。
投稿者 kanemo | 2009年5月 9日 10:27
あります、あります。
投稿者 マレーネの父親 | 2009年5月 9日 11:15