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現在の横浜市営地下鉄上永谷駅がある丸山台地区は昭和40年代後半に大規模な開発が一気に行われたところです。
巨大なブルトーザーが行き交い、山や田畑を一気に削り取ってしまいました。
(昭和40年代後半に行われた丸山台の宅地造成・写真は『港南の歴史』より)
昨日、貞昌院の役員会がありましたので、丸山地区の開発前のビデオ映像を観て頂きました。
役員の方のほとんどがかつてこの地区にお住まいだった方や馴染みの深い方ばかりですので自分の家が出てくると「懐かしいなぁ?」、家族親戚知人が出てくると「懐かしいなぁ?」と感嘆の声が絶えることがありませんでした。
写真もビデオも、その映像の持つ力は計り知れないものがあります。
ましてや、その映像を記録した時間、空間を共有していたものにとっては言わずもがなです。
横浜市の開発は昭和30年代から40年代にかけて、段階的に、大規模に行われてきました。
開発が行われるたびに地域外からの新しい方が入居され、地域の古い記憶がそぎ落とされていってしまいます。
残念なことに、高度経済成長期以降の歴史は『横浜市史』にも記録されていません。
記憶や資料はどんどん失われてしまっていきます。
それを残そうと様々な方々が草の根的に活動を行っているのです。
大学での取組みもさかんに行われるようになりました。
先日、東京都市大学(先月までは武蔵工業大学)環境情報学部の先生と研究室の皆さまが貞昌院へご訪問くださり、地域の記録をどのように行っていくかという意見交換をさせていただきました。
東京都市大学横浜キャンパスは港北ニュータウンにあり、こちらも大規模な開発によりかつての光景が失われた場所です。
コンピュータ技術を駆使して、地域住民と連携してデジタルアーカイブとして纏める研究を行っています。
東京都市大学環境情報学部 「地域とICT」ウェブサイト
(2009年4月、武蔵工業大学は東京都市大学に変わりました)
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亀野さん、こんばんは
貴重な映像を見る事が出来ました。仰られるように「残念なことに、高度経済成長期以降の歴史は『横浜市史』にも記録されていません。」大変貴重な「記録」です。是非、後世の人達へ、いや現在の人達にも伝えたいと思います。これからも宜しくお願い致します。有難う御座いました。
投稿者 ちのしんいち | 2011年10月17日 02:12
ちの様
記録は記録のままで置いておくことなく、整理して纏めておくことが必要ですね。そうでないと記録・記憶が埋もれてしまいます。
投稿者 kameno | 2011年10月17日 11:05