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■華厳宗・東大寺
所在地 奈良県奈良市雑司町406-1
宗派 華厳宗大本山
本尊 盧舎那仏(国宝)
創建年 8世紀前半
開基 聖武天皇
別称 金光明四天王護国之寺
文化財 金堂(大仏殿・国宝)、南大門(国宝)、盧舎那仏(大仏・国宝)ほか
中門(重要文化財) 、石造獅子(重要文化財) ほか
由緒・基礎データはWikiペディアをご参照下さい。
まずは南大門(国宝)。
南大門は、昨年から黄色いアクセントが加わりました。
かつて南大門には「大華厳寺」という額が掲げられていたとの記録があり、それに基づき、昨年、往年の姿に復元されたのです。
この揮毫は、聖武天皇によるもの(集字)です。
遠くからですと小さく見えますが、高さ1.6m、横4.5mもあります。
南大門には種子島から伝わった鉄砲などによる穴がたくさん空いています。
この門の前でも戦が繰返されてきたことを物語っています。
ちょっとしたトリビアですが、その穴の一つに、今でも当時の鉄砲の玉が埋まっています。
皆さん、是非探してみてください。
南大門から大仏殿に向かうと中門に突き当たります。
中門越しに大仏殿を眺めることができます。
中門の左右には持国天と多聞天(兜跋毘沙門天)が睨みをきかせていますのですが、特に、兜跋毘沙門天に注目してみましょう。
このような兜跋を着けた格好をしています。中国唐代のキジル地方に伝わる毘沙門天がシルクロードを経て日本に伝来しているのです。
さらに注目すべきは、毘沙門天が地天女の両手の上に乗っていることなのです。
何と力強い女性なのでしょうか!
なお、地天女の両側は尼藍婆・毘藍婆です。
大仏殿へ向かう敷石は、真ん中の黒い部分が印度の石、その両側の薄赤の石が中国の石、その外側の白い石は韓国の石、さらに両側が日本の石です。
仏教伝来の歴史を敷石で表現しています。
途中にある金銅八角燈籠(国宝)もお見逃しなく。
往年の伽藍は、南北に南大門-中門-金堂(大仏殿)-講堂 と並び、その北側に僧坊・食堂が配されていました。
中門手前の東西には七重塔が聳え、回廊に囲まれて建っていたのです。
大仏殿の大きさも現在よりもずっと間口が広い堂々とした建築物でした。
日本の建築技術の高さが伺えます。
七重塔の相輪。これだけでも巨大ですね。
<この記事は書きかけです>