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持続可能性
持続可能性(じぞくかのうせい)とは、人間活動、特に文明の利器を用いた活動が、将来にわたって持続できるかどうかを表す概念である。経済や社会など人間活動全般に用いられるが、特に環境問題やエネルギー問題について使用される。
化石資源に依存した人間活動は持続可能性がないとされる。
化石燃料は採掘しつくせば得ることはできなくなる。化石燃料の可採残量はあと数百年といわれており、化石燃料に依存した文明は持続可能性がない。代替エネルギー源として太陽エネルギー由来のエネルギー源が開発中である。
その他の化石資源(鉱物)も、主要な金属(鉄・銅・ニッケル等)は可採残量はあと数百年といわれており、これら金属鉱山に依存した人間活動は持続可能性がない。代替としてリサイクルによる化石資源の節約が期待されている。
廃棄物処理が完全でなければ持続可能性がないとされる。
ゴミの埋立地はやがて埋まってしまう。
容易に自然に戻らない人工化学物質を廃棄し続ければ、人間自体の生活を脅かすことにもなり、持続可能とはいえない。
もともと、sustainability(持続可能性)は水産資源を如何に減らさずに最大の漁獲量を得続けるかという水産資源における資源評価という分野の専門用語であった。日本政府も、国際機関(FAO)に対し持続可能な開発と林水産物貿易に関する日本提案を行っている。learning for sustainability(持続可能性への学び)は、愛・地球博地球市民村のテーマとなっている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E7%B6%9A%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7
持続可能性の元となる言葉は、「持続可能な発展(Sustainable Development)」です。
この「持続可能な発展」が世界的な公式文書で用いられたのは、1980年の国際自然保護連合・国連環境計画及び世界野生生物基金による『世界自然資源保全戦略』であるとされています。
また、「持続可能な発展」という概念は、国連が「環境と開発に関する世界委員会」で1987年に発表した報告書『われら共有の未来(Our Common Future)』で示されました。「持続可能な発展」の定義は「将来の世代が自らのニーズを充足する能力を損なうことなく、今日の世代のニーズを満たすこと」としています。
従って、持続可能性は、将来の世代を含めた長い目で見た利益に配慮するといった、将来にも同等の利益を得ることができるような世代間の公平性が大切であるといえます。
けれども、そのために、今日の世代の人間としての基本的なニーズ(Basic Human Needs)を損ねてしまっては本末転倒です。
私たちが、人間らしい生活を営むことができるからこそ、将来世代の利益を考える事ができるのです。
持続可能性は、環境分野に限ったものではありません。
例えば、国際自然保護連合において、1991年に、「社会的」、「経済的」、「環境的」、「空間的」、「文化的」という五つの持続可能性が定義されています。
(1)社会的持続可能性---資産や所得などの分配の公平性。
(2)経済的持続可能性---資源の効率的な分配、公私両面の投資によるマクロな社会的効率性の維持。
(3)環境的持続可能性---環境負荷の最小限化による生態系の持つ資源の潜在能力の向上。
(4)空間的持続可能性---都市と農村のバランスのとれた配慮、人間居住環境と経済活動の地域的分配の改善。
(5)文化的持続可能性---環境重視という単一的な開発から、生態的、文化的、地域的な解決という多元的なものに具体化すること。
すなわち、環境面だけに偏っても駄目、経済面だけに偏っても駄目。
多角的な見地から総合的にバランスよく論議されなければなりません。
まずは、環境的側面での基礎的知識を得るために、最適な資料があります。
環境省の環境白書です。
環境省>環境白書・循環型社会白書
http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/
とてもよくまとまっています。まだお読みで無い方は、是非一読される事をお薦めします。
この他の「社会的」、「経済的」、「空間的」、「文化的」からのアプローチについてもさまざまなところに掲出されていますので、追って見ていくことにしましょう。
さまざまな資料を見ていくにつれ、我が曹洞宗の教義は、この持続可能性に対して多くの示唆を含んでいる事に改めて気づかされます。
道元禅師のコスモロジー、杓底一残水の意義、禅寺の持つ究極のリサイクルシステム・・・・どれ一つとっても現代社会に通用することばかりです。
私たちは、まず身近に学ぶべき素晴らしい手本があるということに誇りをもち、それを実践していく術を広めていく使命があるのではないでしょうか。
それと、一か寺一か寺が率先してCSRに対する取組みを明示することも重要です。
http://teishoin.net/blog/000556.html
何はともあれ、『禅寺に学ぶ持続可能な社会』って、素晴らしいと思いませんか?
> kameno先生
こういった地に足ついた持続的社会への考察は、非常に勉強になります。昨今、「ロハス」などといって、結局は新しい「地球環境に優しい」という「付加価値」を付けた新商品の紹介がありましたが、これとはエライ違いです。
拙僧つらつら鑑みるに、ロハスは資本主義社会の線上にあるものに過ぎず、いわゆる循環型社会とは対をなすモノであろうと思います。消費の方法を変えるのではなくて、消費そのものを問うという方法、これこそ重要であると考えます。
投稿者 tenjin95 | 2006年11月22日 13:35
tenjin95さん、コメントありがとうございます。
私もロハスについては理解できない部分が多いです。
結局循環型社会とはベクトルが違うものであるのならば、本質から外れたものといわざるを得ません。
とにかく、一人一人ができるところから着実に歩んでいく姿勢が必要なのだと思います。
投稿者 kameno | 2006年11月23日 00:17