四十九日は御霊前か御仏前か

皆さまは、四十九日の法事・法要に参列するときには「御仏前」、「御霊前」どちらの熨斗袋をお持ちしますか?

ここで、興味深いことが判りました。

市販されている「冠婚葬祭マナー集」や、ネットで公開されている「マナー集」では、「御仏前」、「御霊前」 両説入り混じっています。

 

■「御仏前」説の例

通夜から三十五日の法要までなら、不祝儀袋に「御霊前」と表書きするか、そう書かれた不祝儀袋を使います。
冠婚葬祭ホットライン より引用)

 

■「御霊前」説の例
49日の忌明け後の法要までは「御霊前」、それ以後は「御仏前」もしくは「御佛前」を用いる。
(生活知恵袋 より引用)

 

四十九日法要での熨斗袋の表書きは「御霊前」「御仏前」両説入り乱れていますね。
どの冠婚葬祭マナー集を見ても、大抵はこのような2通りの回答のどちらかが書かれています。

だいたい割合としては、やや「御仏前」優勢といった感じでしょうか。
それでも「御霊前」とするマナー集もかなりの割合を占めています。

ここで、死を迎えてから行われる法要について整理して考えてみます。

世間一般常識とされているものは、七七日(四十九日)に御霊前と御仏前の境界線が引かれています。
四十九日法要での熨斗袋の表書きが「御霊前」「御仏前」なのかは、どの時点で「仏」になるかということの考え方によるものです。

 

■死を迎える

■枕経

■通夜

■葬儀
・引導

■初七日
■ニ七日
■三七日
■四七日
■五七日
■六七日
■七七日(四十九日)
・位牌開眼
■納骨(納骨時期は施主により異なる)
■初盆
■百か日
■一周忌

 

以前のブログ記事 年回法要にまつわるお話 も併せてご参照ください。

 

宗派による違いも見られます。
例えば、浄土真宗などでは、死を迎えると直ちに成仏するという考えですから、■死を迎える の時点から「御仏前」がマナーですね。

では、曹洞宗はというとどのように考えたらよいでしょうか。

私見を書かせていただくと、

(1)葬儀の「引導」により成仏がなされ
(2)四十九日法要で、(既に仏となっていることを前提として)正式な位牌開眼を行う

ということですから、引導を渡した瞬間、あるいはその後直ぐに仏となり、四十九日には既に仏となっていると考えてよいのではないでしょうか。
世間一般常識よりは前の時点ということになります。

すると考えると、枕経、通夜、葬儀開式前にお持ちするのなら「御霊前」、引導が渡された瞬間からは「御仏前」でも良いということになるでしょう。

実際には、初七日から参列される方は殆ど居ないと思われますし、次に参列される機会といえば、四十九日法要であるでしょうから、「御仏前」として良いという考えです。

 

なお、この「御霊前」「御仏前」という考えは、宗派のみならず、地方により大分考えが異なることもわかりました。
時間があれば、その差異について纏めてみたいと思います。

「御霊前」「御仏前」の違いは、場合によっては失礼にあたる可能性がありますから、 もし、「御霊前」「御仏前」どちらをお持ちするのが不明である場合は、「御香典」としてお持ちするという方法もあります。
これなら、どちらとしても通用します。

投稿者: kameno 日時: 2009年8月19日 09:26

コメント: 四十九日は御霊前か御仏前か

以前の「行年」に関する記事といい、こういうテーマを教義と民俗信仰を踏まえて詳説して頂けると本当に助かります。
さすがKameno先生といった感じですね(笑) 大変勉強になりました。
うちの地方でも諸説がありますね。ゆえに、最後の「御香典」というオチには頷けます(笑)
これらの慣習は、その根拠をどうしても教義や民俗信仰に絡めて説かざるを得ないゆえ、その辻褄合わせにより説が多岐に渡ってしまう現実もあると思います。
そこで参考までにお聞きしますが、葬儀の引導により成仏がなされた場合、いわゆる中陰の時期というのはホトケとしてお過ごしになる期間として民俗信仰的に位置づければ良いのでしょうか。うちの地方ですと、十三佛信仰とも絡みが出てくるので、説明に苦慮した経験がございます。
私も基本的にKameno先生と同じ立場で説明をしてきたつもりですが、いわゆる「ホトケの立場で三途の川を渡る」という位置付けで中陰期間の信仰は保たれるべきか悩む部分がございます。
今後、機会があれば多角的に分析して頂けるとありがたいです。調べてみると、我が地方は色々な形の民俗信仰があり、単純に教義一辺倒で計れない部分もあり苦労しております(笑)

投稿者 叢林@Net | 2009年8月19日 11:19

マナー本によって随分違いがあるのですね。枕団子の数も地域によって随分違いがありますし、民間信仰と仏教の本来の教えの違いには泣かされます。

私の場合は、基本的にその習俗の背景に死者に対する思いやりや深い愛情があり持続性がある場合には認め、そうではない場合には認めません。

また、明らかにその地域で永い期間、伝統的に行われてきた慣習の場合であれば認めることもあります。今は、地域のお年寄りが伝統的なことを少しも知りませんから、これらを拒否することは簡単ですし、無信仰な方が多いので拒否されたことへの抵抗も少ないです。

投稿者 うさじい | 2009年8月20日 08:04

叢林@Netさま
宗派、地域ごとのまとめをしてみると面白いと思います。機会があればやってみたいと思います。

>葬儀の引導により成仏がなされた場合、いわゆる中陰の時期というのはホトケとしてお過ごしになる期間として民俗信仰的に位置づければ良いのでしょうか。

このあたりをどのように説明するか、重要なところですね。
結局仏になるかどうかは死者が決めることですので、私たちは此岸の世界から引導により成仏を願い、またより早い成仏を願い只管中陰の法要を営むだけ…です。

うさじいさま
最近はマスメディアやインターネットにより、マナー本の一を見て、例えば「四十九日にはご霊前を」ということが全国のスタンダードだと判断される恐れもあります。
宗門においても、また僧侶からもある程度明確に出しておくことも必要かもしれません。
葬儀、年回法要の考えに関わる核心の部分と思います。

投稿者 kameno | 2009年8月20日 09:34

kameno様

 日頃無頓着にしていました。ご霊前は葬儀以外あまり使わないように思います。

「結局仏になるかどうかは死者が決めることですので、私たちは此岸の世界から引導により成仏を願い、またより早い成仏を願い只管中陰の法要を営むだけ…です。」
本当にそうですね!!時々浄土真宗の教えの方が南無阿弥陀仏で救済されるのだから、良かったかなーーなんて思いますーー。

投稿者 ゼラニウム | 2009年8月23日 10:59

ゼラニウム様

>ご霊前は葬儀以外あまり使わないように思います。

最近は、逆に四十九日でも御霊前でお持ちするという事例が増えてきています。この一因は、ネットに氾濫する「マナー」情報ですね。
地域に時間軸縦軸として代々伝わってきた情報が、近年は空間軸の方向に一気に広がってしまうようになりました。
ネット上の情報をざっと概観するすると、四十九日法要にお持ちするものは、今が丁度「御霊前」派「御仏前」派、半々くらいです。そのほとんどが、宗門や寺院では無いところから情報発信されています。
宗門、僧侶の考えをもっと発信すべき事項の第一と考えています。

投稿者 kameno | 2009年8月24日 09:54

>未だに49日法要の「御霊前」「御仏前」迷っています。
 御香典が、無難でしょうか?
宗家様の宗派は、曹洞宗です。
>納骨が終わってから会食がありますので、その直前に「御仏前」として、お出しすれば良いのかな?とも、考えています。
如何なものですか?

投稿者 さいとう てるお | 2010年5月19日 17:15

さいとう様
コメントありがとうございます。
そうですね、御香典であればどちらにも使えますから、無難といえば無難です。

>納骨が終わってから会食がありますので、その直前に「御仏前」として、お出しすれば

法要の前にお出しするのが宜しいと思います。
その場合、「御仏前」でも「御香典」でも良いでしょう。

投稿者 kameno | 2010年5月19日 22:41

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