経済学の視点から見たお寺

神奈川県仏教会釈尊成道会記念講演会

『経済学の視点から見たお寺の現代的課題』が、横浜市・西有寺専門僧堂を会場に開催されました。
講師は慶応大学中島隆信先生。

講師先生の著書『お寺の経済学』(文末で紹介)を読んだこともありますので、直接講演を聴くことが出来ることを楽しみにしていました。

講演内容は主に『お寺の経済学』を掘り下げたものとなりました。
記録として書き記しておきます。
(kameno個人メモであることを予めご了承ください)


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■経済学の基本

世の中には必要ないものは存在しない。
ゆえに、お寺は少なくとも現在は世の中のニーズがあると考えられる。

経済学的視点からの一般的法則は、買う側と売る側のサービスのやり取りであり、両面が必要である。片方だけでは成立しない。
これを寺院に当てはめると、人々にいかに仏教の教えを伝え(サービスの提供)それをいかに人々が受けとめるか(サービスの受容)ということになる。

■信仰市場という解釈
<経済学のものの見方=需要と供給はどちらが重要だろうか>

消費者を大切にする。
商品が売れなかった場合に、なぜ売れなかったか原因を考える。
その際に、物を売る側に問題があるのか、買う側に問題があるのかのどちらかであるとすると、ほとんどの場合、売る側に問題があると考えるべきである。
たとえば大学の授業でテストの成績・結果が悪い場合、学生が悪いのではなく、教える側の教え方が悪い、良い授業が出来なかったと考える。
仏教に当てはめると、仏教の教えが一般に浸透していないとすれば、それは寺院・僧侶側に問題があると考えるべきである。

私自分もお寺の経済学の本を書くまでは、自分の所属する浄土真宗の教えについてほとんど知らなかった。
日常生活において、お寺との接点は法事や葬儀の際の関わりしかなかった。
法事法要の際の法話の際に、話を聞かない参列者が増えている原因が、参列者にあると考えているうちは進歩がない。どうしたら話を聞いてくれるのかを考えることにより進歩があるのである。
社会問題となっている食品偽装(=消費者を騙す悪徳な業者)については、買う側も何処産か、ということはわからない。消費者にも責任の一端があるが、賢い消費者を育ててこないことにも問題がある。
どの市場においても賢い消費者を育てる努力が必要である。


■長期計画の重要性

現代に宗教は必要ないのだろうかという問題を考えてみる。
科学や医療のの発達していない時代においては、宗教がその役割を担っていた。
では、例えば医療が発達し、薬が病気を治療する時代になったとすれば宗教は不要になるのだろうか。
現代に宗教が排除されている状況、宗教に関心がない状況は、前段の考えに基づき、現代社会に宗教が不要であるということではなく、それを伝える側に問題があると考える。
経済学的に考えると、「顧客」を大切にしてこなかった、努力を怠ってきた結果であるといえる。
長期計画を持って「顧客」を育てていく必要がある

顧客(=檀信徒)が、後々に、寺院や仏教会を護持していくことも結びついていく。


檀信徒   宗教=信仰   寺院   
       <市場>
              

■観光寺、信者寺、檀家寺の違いとは?

お寺市場には大別して次の三種類がある。
     
・観光寺
 例えば鎌倉大仏。
 外からは見えない仕組みになっている。参拝者が信仰心をどれだけ持っているか。金閣寺を拝観する人は、そこが何宗か、住職は誰かについてはほとんど感心がない。行って写真を撮れば満足する。 宗教施設としての寺院というよりは、立ち食い蕎麦屋の感覚で、立ち寄って一回行けば満足するような寺である。

・信者寺
 浅草寺、善光寺、川崎大師など。初詣などでにぎわう寺院。行って手を合わせる点で、少なくとも観光寺よりは信仰心がある。祈願を行う=信仰。
 ただし、信仰心がどれだけあるかは多少疑問が残る。

・檀家寺
 例えば価格表を出していないすし屋のようなもの。一見さんお断り。客のことを良くわかっている店。かといってぼったくりをするわけではない。そこには「信頼関係」が存在する。
 医者と患者の信頼関係、教師と生徒の信頼関係。そのような信頼関係がなければファストフード店的な付き合いとなる⇒一回限りの取引。
 例えば、駅前のトラックで売っている果物を大切な人への贈り物として購入するか?
 檀家寺では、一回限りのサービスではなく、長い間付き合っていくという信頼関係が必要となる。老舗の信頼関係。逆に言えば、信頼関係が失われた場合には檀家寺である意味がない。

■沖縄の寺院
檀家制度を排除した鹿児島藩が実効支配していたため、寺院の数が極端に少ない。
宗教法人格を未だ取れていなく、他の建物を流用する寺院が多い。祈祷、悩み相談。
なぜ沖縄に寺院が浸透しないのか
沖縄は信仰が100年遅れているといわれるが、実は100年進んでいるのではないか。

信頼関係=信仰=墓地
信頼関係の元である墓地の基盤が崩れると、信頼関係も崩壊する。


■信仰サービスの非営利性

信頼関係とお金のやり取り
どのようにお金を受け取るべきか。
先生、医者・・・お金を受け取る側が人助けをし、お金を出す側が御礼をする。
御礼が先にあり、その後にお金を受け取る。

道ばたに人が倒れている状況を見て、通行人たちは受け取る料金を念頭に人助けをするだろうか。答えはNOだろう。とすれば、人助けをする際に料金を提示してはならない。
学校、病院は補助金があるがゆえに、料金提示が出来ても制限がある。
対し、寺院は唯一何の制約もなくできる業種である。
非営利であるということは、料金的提示がなされていないということが担保されていることが必要である。

経験上の例を挙げれば、ある山にハイキングに行ったときのこと。神社敷地の上山口に賽銭箱が設置されていた。賽銭箱には、道中の無事を祈るために「100円」記載されている。そのような場合は営利事業とみなすべきである。
非営利とみなされるようにするのであれば、下山口に設置し、料金提示をするべきではない。


■タイの寺院はなぜ存在しうるのか

布施を行うことにより<徳>が積みあがっていく。
何らかの価値を産み、その対価を得る。=徳を売る。

■これから先の寺院はどのようにして生き残っていくべきか。

現代人にとって心の悩み苦しみは切っても切り離せないものである。
今後は、いかに苦しみと共存していくかが重要な課題であろう。
私自身、重い病気の家族と暮らす経験から、仏教の発想、教えに触れることができた。
なぜ彼が生まれてきたか、これから苦労して育てていかなければならないこと、回りからの視線など、そのような苦しみと如何に共存するべきなのか。

重い病気の家族が仏様であると考えることができるようになって、負担が軽減されるばかりではなく、ありがたい感情まで生じた。
何の薬も使わず、手術を施すこともなく、発想の転換のみで救われることが出来るのである。

これが檀家寺が長い間かけて育んできた、信頼関係の礎となるものである。
寺院は徐々に淘汰されていくかもれないが、賢い消費者を育てることのできる寺院は生き残っていくだろう。



講演の内容は『お寺の経済学』がベースになっています。
改めて先生の著書をご紹介いたします。

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『お寺の経済学』で坊主丸儲けは許しません
経済学者がつきつけたお寺業界の規制緩和策


お寺の経済学


中島 隆信 著  

■発行日 : 2005年03月10日 
■ISBN : 4-492-31345-1   C33
■サイズ : 四六判   並製 
■ページ : 244頁 
■価格(税込) : 1,575円

投稿者: kameno 日時: November 11, 2008 11:01 PM

コメント: 経済学の視点から見たお寺

> kameno先生

例えば、カトリックのように、収入の1割を宗教に充てるように、説得する、或いは、それで納得してもらうなどの手当が必要なのかもしれません。

なお、賢い消費者ということですけれども、こういってはなんですが、しばらくの間、日本に於ける「賢い人達」は、「無宗教という宗教に洗脳」されてきている事実がありますので、作り出すのは、非常に難しいと思います。ですから、その登山道の「100円」のように、或る意味「騙す」しかないわけですよね。これは、「賢さ」と対極の行為です。でも、ここから、我々が収入を得てきているわけです。

まぁ、ハッキリ申し上げますが、学者というのは理念に依存して、実際には出来ないことをいう、というのが、拙僧の見解です。日本史を紐解いてみれば、そんな「仏教の賢い消費者」なんて存在しなかったことが一目瞭然のはずなのに。。。この教授、自分を中心とした「希有な例」を一般化しているんじゃないか?と疑問を持って、或る意味、リテラシーでもって判断しますね。

投稿者 tenjin95 | November 13, 2008 5:39 AM

tenjin95さん
講演の内容を一言で纏めると、経済学の視点から「衰退しつつある」お寺をどのように復活させるかということを需要(信者)と供給(お寺)の面から指摘したものでした。
お寺の衰退は、供給側にあるとはいえ、「お寺の意識が低すぎる」ということだけでなく、むしろ、運営・経営の仕組みや制度、ガバナンスなどにあると指摘しています。
抜本的には「檀家制度をリセット」し、現代のニーズにあった手法で、消費者を振向かせるべきであるということなのですが・・・・・

私は、これまで培われてきた檀家制度の良さということももう一度見直してみることも必要なのではないかと感じます。
その上で、仰るように1割寄進という制度も一法ですし、抜本的改革というよりは、現行の良さを生かしながら社会情勢に合わせた修正という方向性が一番適合するように感じます。

投稿者 kameno | November 13, 2008 7:37 AM

kameno様
経済学の需要と供給の関係から、売れなかった場合売る側に問題があるとみなければならない。仏教が浸透していないのは僧侶側に問題があると考えなければならない。それも一つあるかもしれません。学問的なところから法を説いてご説法いただくことで満足される方もあれば、代々先祖がそうしてきたように供養をしていただくことで安心して日々を送れる(檀家制度のありがたい点)という方もあります。また100円で御祈祷をいたします。と記載されていた方が分かりやすく気軽に誰でもが、お参りしていただける方法でもあると思います。やはり需要と供給の関係を読みながら日々を務めることに大切さがあるように思います。アップありがとうございました。

投稿者 ゼラニウム | November 13, 2008 11:29 AM

ゼラニウムさん
仰るとおり、それぞれの寺院が、それぞれの活動を行っています。それは中島先生の指摘されるように「必要であるから存在する」ということには間違いありません。
ですから、出来ることを出来る範囲で継続して行っていくということはとても重要なことであると考えます。
檀家制度をただただむやみに否定するということは本末転倒ですね。

投稿者 kameno | November 14, 2008 6:48 AM

kameno様

ありがとうございます。先日学校のPTAのみなさんとお寺を
拝観いたしました。下見では、ボランティアガイドさんの丁寧なご案内をいただきました。本番ではせっかくだからと思い、お寺様にミニ法話をお願いしたところ快く引き受けてくださいました。そして案内をしながらその場で私たちの顔をみて、中学生の母,子共の立場になってのお話をしてくださいました。その時間でしかない窓から差し込む回廊の光と影がありました。そのような案内をお寺様にしか出来ないことを拝観をするものとして要望いたします。皆さんに大変喜ばれましたーーー。

投稿者 ゼラニウム | November 14, 2008 8:17 AM

ゼラニウムさん
お寺に住するものゆえに知っていることもありますよね。
そのような案内をいただけると本当に嬉しいですね。

投稿者 kameno | November 14, 2008 8:41 PM

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