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享年と行年=いのちの長さの数え方 の補足記事です。
■行年・享年 生まれてから経た年数。特に仏教語というわけではない。例えば、『荘子』天運に「孔子、行年五十有一にして道を聞かず」とある。日本ではしばしば<享年>と同一視し、天から享けた寿命の年数、亡くなった時の年齢を指す。(『仏教辞典』岩波書店・中村元 他編より)
■数え年 生れた年を1歳とし、以後、正月元旦毎に1歳ずつ加えて数える。
■満年齢 年齢は出生の日より起算し、出生日の応当日の前日の満了をもって年齢が加算される。(「年齢計算ニ関スル法律」)
現在「年齢計算ニ関スル法律」により運用されている満年齢の考え方は、「西洋的ないのち観の象徴」でもあります。
すなわち、民法 第3条 私権の享有は、出生に始まる。という表現に端的に現れております。
対し、数え年の考え方は「東洋的いのち観の象徴」でもあります。
これはどのような考えにもとづくのでしょうか。
以下、玄侑宗久師の 『「満」と数え年』(「福島民報」 福島民報社3月12日号) を引用しながら段落ごとに考えてみましょう。
最近の新聞の死亡記事は、満年齢で書かれることが多い。うちの寺では死亡年齢を「数え年」で書くため、ちょっとした混乱が起こることもある。まぁ混乱といったって、生き返るほどのことはないが......。 数え年というのは、中国に由来する古典的な東洋の年齢観である。人は生まれたときすでに「一」であり、また歳をとるというのは、年末にやってくる歳徳神のなせるわざ。新しい歳を運んでくるのは、先祖が浄化されて神格化した神さまの仕業だと考えられた。年末の大掃除も門松を飾るのも、すべてこの歳徳神を迎えるためだ。
日本では、古来より年末から新年にかけて、「歳神様」をお迎えする習慣があります。
「歳神様」をお迎えする時に目印になるのが、門松や注連飾りであり、「歳神様」へのお供え物が鏡餅ですね。
現在では、「年齢計算ニ関スル法律」により、生まれた時を0歳とし、 誕生日の前日の満了をもって1つ歳をとることになる「満年齢」の考え方が用いられています。
しかし、昔は生まれた年を1歳として、正月にお迎えした「歳神様」をお迎えすることによってさらに1つ歳が加算されました。
⇒ 幸せをもたらす方角
⇒ どんと焼き・左義長
門松や注連飾り、鏡餅の風習だけが残されておりますが、本来的な意味を知っておくことは大事なことだと思います。
正月で歳はとるものだから、たとえば十二月生まれだったりすると妙なことが起こる。
生まれたら「一」で、正月にまた「一」が加わるから、たとえば生まれてまだ七日しか経っていなくとも、初めての正月でその子は二歳になる。次の正月まえにようやく満で一つになるわけだが、その一週間後には数え年は三つになる。つまり、満年齢と数え年は、この人の場合だいたいいつも二つ違うことになる。
しかし一月生まれなら、ほぼ年中、その差は一つである。
よく、どっちが正しい歳なのかと、訊かれることもある。むろんそれはどちらとも云えないが、少なくとも、両者の違いははっきり心得ておいたほうがいいだろう。ご承知のように、満年齢の考え方は、誕生日が中心にある。これは西欧的な発想である。しかも誕生した時点で、彼らはそれを「ゼロ」と見なすのだ。
これは思えば不思議な感覚である。明らかに、子供は何も知らない無知なる存在で、そのままではヒトでさえないのだろう。
しかし東洋では、老子の柔弱の思想を待つまでもなく、子供は子供で完成体なのだと見なす。だから目の前に完全な形で存在する命を「ゼロ」と見ることはできなかった。どう考えても、それは「一」だろう。
満年齢が「西洋的ないのち観の象徴」、数え年の考え方が「東洋的いのち観の象徴」でありますが、その根底には、「生命」の誕生を何時と捉えるか、何時をもって「人」として捉えることができるかという考えの違いにあるようです。
西洋的には、母体の外に出た時点でも、ヒトとして不完全な存在であると考え、東洋的には完全な存在と見做すということが、「0」「1」という数字となって表れています。
この二つの考え方は、たとえば生物学の世界でも存在した。 当初は、蝶の幼虫やさなぎは、蝶に比べて不完全だから変態すると考えられた。しかしそれでは、あまりに完璧な幼虫やさなぎのシステムを理解できないと知った人々は、やがてこんなふうに考えるようになった。幼虫もさなぎも未完成なのではなくてそれなりに完成しており、その完成した状態が次々に変わっていくのだろう。しかしそれなら、ある意味では常に未完成であると云うこともできる......。 たぶんヒトも、そういうことなのだろう。
さなぎの中身はドロドロの液体です。
これは、幼虫の時にあった器官や、筋肉、脂肪などが無くなってしまい、細胞がアミノ酸のレベルまで分解されてしまっているからです。
幼虫⇒さなぎ⇒成虫への完全変態の過程において、幼虫の期間を、ひたすら養分を摂取して大きく成長する段階とすれば、成虫は、オスとメスが次の世代を残す生殖的な段階であり、まったく次元が異なるため、さなぎの期間で、成虫において不要な器官の細胞が、プログラム細胞死であるアポトーシスを起こし、死んだ細胞は、いったんアミノ酸レベルまで分解されて、成虫で必要な器官(生殖器とか、羽とか、複眼など)に再構築されるわけです。
この意味で、幼虫もさなぎも、それぞれの段階でそれなりに完成しているということについては納得がいきます。そしてそれぞれの段階で未完成ということも。
⇒ 「生きる」ために「自殺」する細胞たち
明らかに、母親の胎内で過ごした「十月十日」まで入れれば数え年のほうが実際的である。しかし十二月生まれだと、ちょっと多すぎるような気もする。おそらく、現代人にも納得のいく合理的な年の数え方というのは、誕生日ごとに年はとるにしても、そこに「十月十日」を足した数字ではないだろうか。つまり満年齢プラス一というのが妥当な感じがする。
しかし正月で年をとるというのは、年は個人がとるのではなく、共同体で一緒にとるものだと考えられたということだ。ここでは、加齢が生物学的なものであるより、むしろ社会的なものと考えられているのだろう。若くても孫ができれば孫と一緒に歳をとる。夫婦は一緒に正月を迎えつつ歳をとる。数え年にはそういう考え方も含まれているのである。
ここでいう「満年齢プラス一」というのが、まさに行年・享年の考え方ですね。
行年・享年の考え方は、生まれてから経た年数であり、「東洋的いのち観」では、「生まれたとき」は「受胎した時」と考えますから、母親の胎内で過ごした「十月十日」までを加算します。
行年・享年の考え方は生物学的にも納得のいくものであります。
数え年は、この行年・享年の考え方を社会的に還元し、制度化したものです。
つまり、
(1)実際に日常社会生活の中で「受胎した時」を特定することはできない(なので胎内で過ごす期間を1年と考えた)
(2)歳は個人がとるのではなく、共同体で一緒にとるものだと考えた(元日に歳徳神により皆に歳が運ばれると考えた)
などの理由により、「生れた年を1歳とし、以後、正月元旦毎に1歳ずつ加えて数える」という制度ができあがってきたわけです。
その根本には行年・享年の考え方が存在します。
現代社会からは、数え年や行年・享年の考え方が失われつつあります。
、「西洋的ないのち観」「、「東洋的ないのち観」に優劣をつけることはできませんが、しかし、いま一度、古来より培われてきた「東洋的いのち観」を振り返り、見直してみることも大切なことではないかと思います。
満年齢と数え年先日、宜野座高校で開催された「カフェテリア方式による性教育」に講師として参加した。保健師、看護師長、大学院生、養護教諭、そして住職と、それぞれの専門家が「性感染症」「妊娠・中絶・避妊」「男女交際」のカフェテリアテーマを担当し、生徒たちは興味を持ったカフェ(教育内容)を自ら選択し、10人前後の小グループに分かれて車座を囲んだ。
私に課せられたテーマは「結婚・いのち」。トートーメーの記載で、亡くなった年齢(行年・享年)を、なぜ数え年とするのか。そこから話を起こし、いのちについて「世間一般の満年齢とは、西洋的ないのち観の象徴でもあり、私たちが母体の外に出た時から人間のいのちの誕生と考えられる。だから君たちにも誕生日があり、高校3年生では17―18歳となる」と講話した。
けれども、東洋的ないのち観とも言える数え年では、母体の中で私たちが芽生えた時から人間のいのちの誕生だと考えられている。満年齢に1年を足したものが数え年とされるのは、この妊娠期間中である10月10日を四捨五入し1カ年とサンミンするからだ。そして沖縄で命の尊さを語る時には、必ずと言って良いほどこの数え年が尊重されるのである。
「ワッター母ちゃんは、トートーメーは満年齢がいいはず。1歳でも若いねえって言われると、夕ご飯は超豪華になるバーヨ」「うちのオバーはオジーを戦争で亡くしているから、グソーではオバーとニセータで、オジーがハジカサーしないかねって言っているよ」「じゃあ母ちゃんもオバーも、仏壇では若いチュラカーギだった時の写真を使えばいいさあ」
宜野座高校の生徒たちは、いつも目をキラキラ輝かせて、私の講話を聞いてくれるから大好きだ。
(帰依龍照、コザ真宗寺住職)
琉球新報 2005年12月6日 より引用
■kameno補注
「享年」と「数え年」は、計算上、概ね近い値になりますが、
●「享年」は元旦に歳を加算するものではなく、「いのちの長さ」ですから、「満年齢+母親の胎内で過ごした期間」となります。概算で「満年齢+1歳」でも良いと考えます。
●「数え年」は元旦に歳を加算しますから、「享年」とは最大約1年分の差異が生じます。
●「数え年」と「満年齢」は、最大約2歳の差異が生じます。
<冒頭の図参照>
亀野先生の拘りにはいつもながら脱帽させられます(汗)
今回もとても参考になりました。
私の地元では、葬祭業者間で「行年」の捉え方が異っていたり、また施主の方も「行年」に対する理解も乏しく、双方に誤解を生じさせないために、単純に「数え年」=「行年」的な慣例が続いております。
ここまで詳細に論述して頂けると、個人的にはとてもありがたいことですm(__)m
投稿者 叢林@Net | 2008年7月23日 11:48
私は12月が誕生日です。子供の時、七五三の三歳の祝いは満年齢一歳でした。
数え年の考え方は、生命の尊さを考えさせられます。
投稿者 天真 | 2008年7月23日 23:35
叢林@Netさま
いつもありがとうございます。
お盆にしても、年齢の数え方にしても、本来のもつ意味と実際の運用では異なることがあります。玄侑宗久師「少なくとも、両者の違いははっきり心得ておいたほうがいいだろう。」という考えは大切だと思います。
天真さま
そうでしたか。
12月生まれの方にとっては特に歳の数え方に影響がありますね。満年齢一歳での七五三・・・さぞかしかわいらしい晴れ着姿だったでしょう。
投稿者 kameno | 2008年7月24日 09:44