汽車道にまつわるエトセトラ

桜木町から橋を渡り、ナビオス横浜の開口部を通り抜けて赤煉瓦倉庫へ向かう「汽車道」。
そこには、かつて鉄道が通っていた面影として線路が残されています。

「汽車道」は、かつての高島線の一部です。

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高島線の桜木町から先は廃線となりましたが、その跡地が見事な「汽車道」というプロムナードとして再生されました。
この素晴らしい意匠に対し、汽車道は 2001年の土木学会デザイン賞・最優秀賞を受賞しました。
http://www.jsce.or.jp/committee/lsd/prize/2001/works/2001b2.html


高島線の歴史は、日本の最初の鉄道である1872年(明治5年) 初代横浜駅?新橋駅間から始まります。
当時の横浜駅は、現在の桜木町駅の付近にありました。

あまり知られていませんが、現在の横浜駅の位置は、三代目として昭和になってから移設された場所です。
横浜駅の変遷については、こちらのサイトが詳しいです。併せてご参照ください。

【横浜駅の物語】

横浜駅の移設により、以前の路線は貨物線へ変遷。
物資輸送の主力が鉄道となり、横浜港の各埠頭から桜木町を通り、鶴見から東京方面へ続く貨物線が整備されました。

これが高島線です。

高島線の通っていたルートを赤い線で描いてみました。

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桜木町から汽車道を通り、赤レンガ倉庫を抜けて、山下公園脇の高架を通り、山下埠頭まで通じる貨物路線です。
しかしトラック輸送の増加により、高島線の桜木町から先は廃線に追いやられてしまいました。


【高島線】

高島線(たかしません)は、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅から同市神奈川区の東高島駅を経由し同市中区の桜木町駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道本線貨物支線のひとつの通称。旅客列車が走る事は滅多にないため、存在さえ知られていないことが多い。
鶴見では東海道貨物線・武蔵野線の新鶴見信号場と東海道貨物支線の東京貨物ターミナル駅方面に接続しており、また桜木町では根岸線に接続している。線内完結の列車はなく、鶴見以遠と根岸線を結ぶ中継ルート的な役割を果たしている。
現在は東高島駅で運転停車があるのみだが、根岸線根岸駅(根岸駅は日本国内の車扱い量No.1)で取り扱う貨物列車や、逗子駅で取り扱う主に東急車輛製造の新車の甲種輸送による貨物列車を鶴見以遠と中継する役割を担っており、日中はおよそ30分おきに列車が来ることもある。

以前は通称:新興線との分岐点の入江信号場(現:新興駅)で内外輸送の化成品輸送、東高島駅では同駅に接続する瑞穂支線沿線の在日米軍基地『横浜ノースドック』専用線へのジェット燃料輸送、日本製粉専用線のホッパー車扱い、横浜市場への専用線へ鮮魚列車の発着などもあった。
横浜機関区(高島機関区)に隣接した高島操車場では機関車のつけかえや山下埠頭方面へ分岐する臨港貨物線山下埠頭駅からの荷扱いがあったが、現在は高島操車場と横浜機関区は廃止、新興駅と東高島駅が残っているものの、荷扱いは廃止されている。
横浜線の貨物が盛んで八王子からの生糸などを輸送していた当時は、東高島駅付近に瑞穂駅、海神奈川駅などの臨港貨物駅も存在し、貨物は東神奈川駅ではなくこちらが終点だった。現在でも、東高島駅前に旧横浜線の線路・橋りょう跡を見ることができる。
(Wikiペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%AB%98%E5%B3%B6%E9%A7%85


このように、高島線は日本で最初に汽車が走った場所でもあり、高度成長の物流を支え、(関東近辺では)最後の方まで汽車が残っていた場所でもあります。

また、横浜港からサンフランシスコへまでの船舶航路に接続するため、1920年(大正9年)から1960年(昭和35年)にかけて、「ボートトレイン」が東京駅?横浜港駅(現在の赤レンガ倉庫付近)間で運行され、この高島線を走りました。

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左の写真=撮影地は地図の(3) / 右の写真=撮影地は地図の(2)

↑これは、横浜港開港120周年行事として、1980年(昭和55年)6月13-15日に高島線の東横浜?山下埠頭間を三往復したSLです。
ボートトレインを模して再現されたものです。

父のNikonFを借りて撮影しました。しかもモノクロフィルム。
かなり大きなニュースになっていたので、ものすごい人だったことを覚えています。
これがお客さんを乗せて横浜を走る最後のSLだと思います。(間違ってたらごめんなさい)
この後、まもなく山下公園脇の高架も取り壊されてしまいました。


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撮影地=地図の(1)

↑写真は、2001年(平成13年)秋に開催された「横浜トリエンナーレ」に出品されていたオノ・ヨーコの『貨物車 Freight Train』です。
赤レンガ倉庫前に展示されていたものです。
ボートトレインの終着駅はここでした。かつての横浜港駅が、写真奥のように再現されています。

汽車道は、時代の変遷とともに役割も景観も変わっていきました。
それぞれがその時代ごとの横浜らしさを象徴する場所であり続けていることが素晴らしいですね。

かつての面影に思いを馳せながら、桜木町から山下埠頭まで廃線跡を歩いてみてはいかがでしょうか。

桜木町?ドッグヤードガーデン・日本丸メモリアルパーク?港一号橋梁?港二号橋梁?港三号橋梁?運河パーク?ナビオス横浜?ワールドポーターズ?赤レンガ倉庫?山下公園?山下埠頭

思わぬ発見もきっとありますよ。

投稿者: kameno 日時: 2006年11月26日 00:34

コメント: 汽車道にまつわるエトセトラ

亀野さん、おはようございます
凄い!素晴らしい!亀野さんが、お幾つの時に撮られた写真ですか?C581の記念すべき、貴重な写真です。
素晴らしい「Y150みんなでつくる横浜写真アルバム」のプロロ?グになりました。有難うございました。

投稿者 ちのしんいち | 2009年3月 7日 10:56

ちの様
いつもありがとうございます。
当の写真は私が高校生のときに撮った写真です。
確か市民から乗車希望の応募を受付けていて、何千倍もの確率にもなったはずです。乗車できた方が羨ましかったものです。
ふと思ったのですが、インターネットには様々な「なつかしの」鉄道写真、道路の写真、街の様子などを公開している方がたくさんいらっしゃいます。
メールなどでそのようなサイト管理者に「Y150みんなでつくる横浜写真アルバム」のご案内をお送りすることによって写真はより多く集まることでしょう。

投稿者 kameno | 2009年3月 8日 09:13

今日はご苦労様でした。
前日の貞昌院大施餓鬼会法要でお忙しい中ありがとうございました。お陰様で午前中に終える事ができ感謝しております。

先程、C581号機のナンバープレート(複製)があるのを思い出し、後ろを見たら昭和46年2月11日の日付がありました。どの様な経緯で販売したものかをすっかり忘れております。何がこの時期にあったのか、ご存知でしたら教えてください。よろしくお願いいたします。

投稿者 ハマちゃん | 2011年7月27日 14:24

ハマちゃんさま
今日はお疲れ様でした。たくさんの人手があったので片づけがスムーズに行きましたね。
さて、C581の件ですが、昭和47(1972)年に鉄道開業100周年を記念事業として梅小路蒸気機関車館が開設されていますから何か関係があるかもしれないですね。
調べてみると、昭和46年まではC581は北海道・北見機関区に所属していて、石北本線、釧網本線で活躍していたようです。
その年の後半に引退し、梅小路で動態保存されるために京都に移送されたはずですので、鉄道開業100周年、あるいはC581引退の記念プレートではないでしょうか。

投稿者 kameno | 2011年7月27日 18:46

ぢぇいぇううwいぇぐえへいぇう

投稿者 Anonymous | 2014年11月12日 09:30

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