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新聞の投稿欄に、気になる投稿があったのでご紹介します。
先日のトピックスとも関連する部分があるかもしれません。
お布施は「志」良心に従って僧侶 (新潟県柏崎市)
お彼岸参りに檀家さんを読経して回っている。2千円から5千円のお布施で寺のかき入れどきになっているのだが、3分ほどお経を読んでそれだけ頂くのだから、坊主は3日やったらやめられないと言われるのかもしれない。
千円しか包まれていないこともあるが、聖人でもない生臭坊主にはもった小ない金額である。
お布施は志だから本来、定価表はないが、私の山寺では戒名の末尾が「信士」「信女」の仏様の葬式では15万円頂く。信士料と本尊料、読経料が各5万円だ。
それより格が高い「居士」「大姉」ではその倍額。もう何十年来、ご理解を得ている。さらにその上の「院号」はめったにないが、その場合は50万円になる。
若いときはお布施をもらうのが恥ずかしくて目をそらして受け取ったものだ。
中年になってからは心の臓に毛が生え、しっかりと、またありがたく頂戴する。僧侶は正しい信仰をもって檀家さんに布教する義務があるからでもある。
以前、テレビで東京など大都市での葬式代に触れていたが、われわれの地方の倍以上の値段を伝えていた。
暴利とは言わないが、仏道にのっとって良心に恥じるところがないのか、と要らぬ気を回すこともある。
う?ん、きっと本人は率直な意見を投稿しているのだろうし、悪気は無いんでしょうが、何だか悲しいですね。
先日は、宗教法人の課税問題について、「宗教活動の核心の部分だけは課税対象にしないべきだ」ということを書きましたが、こういう考えの僧侶が大多数であるならば、宗教法人の課税もやむなしという感じがします。
投稿内容の問題点を順次挙げて生きます。
(1)お彼岸参りのお布施で寺のかき入れどきになっている
檀家さんから戴いた浄財を、単なる収入源としか見ていないのでしょうか。
(2)3分ほどお経を読んでそれだけ頂くのだから、坊主は3日やったらやめられないと言われるのかもしれない。
その浄財をあたかも僧侶個人の収入にまるまる受け取る印象も与えます。まさに、読経の対価としての料金というイメージでしょう。
(3)戒名の末尾が「信士」「信女」の仏様の葬式では15万円頂く。信士料と本尊料、読経料が各5万円だ。格が高い「居士」「大姉」ではその倍額。
まさに定価づけなのですが、このようなことを大っぴらにしていいのでしょうか。
(4)中年になってからは心の臓に毛が生え、しっかりと、またありがたく頂戴する。僧侶は正しい信仰をもって檀家さんに布教する義務があるからでもある。
これも(2)と同様です。
(5)テレビで東京など大都市での葬式代に触れていたが、われわれの地方の倍以上の値段を伝えていた。暴利とは言わないが、仏道にのっとって良心に恥じるところがないのか、と要らぬ気を回すこともある。
いやぁ、この最後の部分が一番ひどいですね。
まず、第一点に「暴利」という表現。
多くの都市部の寺院が、暴利を貪っているような表現、これはどうかと思います。
布施というのは、檀家さんが納得しただけのものを金銭という財施として、「お寺に」寄進するものです。
つまり、檀家さんからいただく布施の金額についてどうのこうの言うべきことではないということです。
そして、戴いたお布施は、僧侶の懐に入るのではなく、法人会計に入り、寺院のさまざまな経費に使われ、そのほとんどが檀家さんや公益のために使われるということ。残りの一部を給与として僧侶が戴いているわけです(もちろん源泉徴収されます)
国語辞書を紐解くと、必ず次のように記載してあります。
ぼうず ばう― 1 【坊主】 ――丸儲(まるもう)け
坊主は資本も経費もいらず、収入がそのまま全部儲けになる。大辞林 第二版 (三省堂)
ただし、確かに僧侶の中には、不心得なものもいることも確かです。
その代表が、一部の葬儀社が雇っていると契約しているアルバイト的な僧侶。
寺院を構えずにいる「マンション坊主」ともいうべきものです。
葬儀社から葬儀の依頼を受け、その布施のうち半分近くを葬儀社にキックバックし、残りを個人収入としてしまう。
このような現状を容認してしきてしまった社会風潮も残念なことです。
どちらにせよ、柏崎の僧侶の方の投稿は、投げかける対象を誤っていると思えてなりません。
公取委 葬儀トラブル防止へ 取引実態初の調査 指針策定を視野公正取引委員会は、葬儀業の取引実態調査に乗り出した。 高齢化社会の到来で葬儀市場の規模が拡大するなか、業者間の競争も激しくなっている。 親族を亡くした直後の短時間で結ぶ高額契約だけに、 公取委は価格やサービスの表示方法に関する指針策定も視野にトラブル防止を図る。
日本消費者協会が平成15年に行ったアンケートによると、 葬儀一式費用の全国平均は150万円。
ただ、これ以外にも通夜からの飲食接待費用が38万円。 お経や戒名などの寺院費用が48万円かかっていた。
車に並ぶ大きな支出となるが、葬儀費用をどれくらいにするかは「親族の意見」(25.4%)、 「社会的地位」(22.7%)、「葬儀社の助言」(22.7%)と、よく吟味して決めているとはいえないのが実情。
『産経新聞』 2005-2-8
ようやく、不透明といわれていた葬儀業界にもメスがはいってきました。
「坊主丸儲け」に対する辞書の表現が自然に改まるように世間に認知してもらわなければならないし、寺院側も会計に関してもっともっと透明性を図っていかなければならない。
何故、宗教法人の宗教活動の部分が非課税とされるのかを寺院側はそれをしっかり受け止めていかなければならない。
そして、私たちも、今よりももっともっと僧侶としての資質を高めていかないと、世間から取り残される存在になってしまうでしょう。
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同じ日の同じ欄に掲載されていた女子高生の投稿のほうが、よほどしっかりした考えを持った投稿だと思いますので併せて紹介します。
宗教の授業で自分見つめる
高校生 (愛知県日進市 17歳)
私が通っている女子高はカトリック系で、週に一度宗教の授業がある。その授業ではもちろん、神の存在について考えたりもするが、それ以上に自分自身のことを考える時間が多い。色々な角度から自分という人間を見て、色々な考えを持つ自分に気づく。
私はそんな宗教の時間があまり好きではない。自分って何だ、と考えるあまり、自分という人間が分からなくなったり、自分の冷たく小さな面に気づいてしまったりするからだ。プライドの高い私にとって、自分の冷たさや小ささと向き合い、これも自分なのだ、と認めることは、かなりの勇気がいることなのだ。
けれど最近、現実の自分を否定し続け、逃げてばかりでは、理想の自分に近づけないのではないか、と気づいた。私にとって宗教の授業は理想の自分と、現実の自分との闘いの場だ。やはり宗教の授業は好きではないけれど、自分という人間を好きになるために、もう少し、現実の自分の姿と闘ってみようと思う。
トラックバックありがとうございます。
> 僧侶は正しい信仰をもって檀家さんに布教する義務があるからでもある。
> 仏道にのっとって良心に恥じるところがないのか、と要らぬ気を回すこともある。
うーん、自信たっぷりですね。
この僧侶の方、自分は檀家さんよりもえらいと思っているんでしょうか。(-_-)
投稿者 円 | 2005年3月25日 16:45
うわあ、困ってしまいますね。
僧侶のあり方をフォローしているつもりが、まったくフォローになっていないということで、僧侶が時代の感覚とずれてしまってることを露呈してしまっていますね。これはもう、ものすごく根源的な問題をはらんでいる気がします。
投稿者 Kamijo | 2005年3月25日 17:30
円さん、kimijoさん、コメントありがとうございました。
冒頭に書いたように、恐らく悪気の無い投稿であるだろうとは思います、いや思いたい。
檀家さんより僧侶のほうが偉いんだという奢りや、一般世間の感覚から逸脱してしまってはならないですね。(これは、投稿された僧侶に対してではなく、自省です)
投稿者 kameno | 2005年3月25日 20:06
キックバック坊主(?)とでもいうべき人が存在しているのですね。
知りませんでした。勉強になります。
(「坊主」という言葉は蔑称かも。すみません。)
そういうかたはどこかの宗教法人に所属しておられるのではなく、
完全に個人の立場で宗教活動をなさっておられるのでしょうかね…。
一種の新興宗教(?)といえるのかもしれません。(^^;)
投稿者 Westie | 2005年3月26日 06:33
Westie さん、コメントありがとうございます。
キックバック坊主(?)については、様々な種類があるようですが、各宗派のお経を読むことができる(もちろん無資格)ような、読経マシーンに徹した方もいらっしゃいます。
キックバック率も、なんと50%になる例も見られるとのこと。
やはり、普段からいろんな寺院や葬儀社を実際に見て廻り、実際に話を聞いてみるのが一番だと思います。
いざというときに慌ててしまい、なし崩し的に話が進んでいくのが一番良くないですから。
投稿者 kameno | 2005年3月26日 09:43
否論ばかりを呈するようで、ものすごく恐縮なのですが、悪意は無いので誤解しないでくださいね。
私は、前にもお伝えした通り、宗教法人の活動のすべてに課税をしても良い時代に入ったと考えています。
営利を追う法人ではない(そう願います)ので、がむしゃらに収入を追うものではありませんが、一年間の活動の結果として、もしも利が生まれたのであれば、その内の決められた割合を社会に、すなわち世のため人のために還元しても良かろうと思うのです。
投稿者 あさひ素材 | 2005年3月26日 12:09
あさひ素材さん、御意見ありがとうございます。
まったくおっしゃるとおりだと思います。
実際に宗教法人の規模はまちまちで、全国的に見ると殆んどが収支的に成り立っていかないはずです。
そんな中で、一部の宗教法人が利益を生み出していることも事実です。
したがって、収益事業以外であっても、利があるのならば法人税をかけたほうが良いというのはごもっともな意見でありますし、世論はそういう方向に向いているのでしょう。
近いうちに、私論を展開してみます。
投稿者 kameno | 2005年3月26日 12:20
>信士料と本尊料、読経料が
もうここで既に誤っています。「料」ではありませんよね。
僧侶が頂く物、与える物、全てが「布施」と師匠から教えられました。金額の多寡ではないし、困っている人からは頂くな、というのが教えです。都市部がどうのこうのということは、比較して自分のところが安いと言いたいわけですよね。
この方は、恐らく修行に行っていない方、若しくは僧侶ではない方が僧侶を騙っての発言だと思います。
投稿者 usagi | 2005年3月27日 06:59
コメントありがとうございます。
このあたりのことについては、上のコメントにも書きましたが、少しまとめてみようと思います。
投稿者 kameno | 2005年3月28日 00:39
宗教、お金 は 難しいですね。
投稿者 ふにゆりん | 2006年9月12日 07:55
そうですね、難しいからこそ明確にしておく必要があると思います。
投稿者 kameno | 2006年9月12日 12:28
宗教法人の活動のすべてに課税をしても良い時代に入ったと考えています。
Name あさひ素材 : March 26, 2005 12:09 PM
上記のような記載がありましたが、鎌倉の円覚寺派では
平成二十年より寺院の収入に応じて宗費と言うかたちで徴収とのこと。内容は?寺院地位の高さに応じて割りあて金。
?僧侶としての地位の高さに応じての割りあて金。
寺院の収入に応じての割りあて金。以上の合計を宗費として納めるらしい。
檀徒の増減も報告させ、
事前調査で収支決算書三年間を参考にするらしい。
内容の公平をきする為罰則ももうけるらしい。
暫く様子を見た後
檀徒の内、位階の割合による収入基準も検討しているらしい。
年間の葬儀法要の数、檀徒増減、現地に内々調査。
葬儀法要による位階相応な基準と、檀徒数が適合しているか検討(嘘が無いか調査)
噂による為事実は不明。
投稿者 ぽち | 2006年11月22日 21:59
お布施が高いのは、本山のせいかも知れない。
月刊「寺門興隆」2002年12月号 より抜粋
真宗大谷派と能登教務所を訴えた懇志金の苦悩
門徒戸数百八十六戸と苦しい状況
○○寺に対して以下の納付を求めた。
経常費(宗派御依頼額)…二百三十九万七千円。
賦課金…十二万八千五百円。
教区費…七万二千四百円。
これに加えて、宗門と教務所は、
随時に懇志金の支払いを要求していた。
また、平成十年の五百回御遠忌では、
○○寺は四百五十六万八千四百円の納付依頼を受けた。
北国新聞 2002年10月22日 朝刊より
門徒戸数が減少し、寄付金集めで頭を悩ませる寺院が
能登地区で目立っている。
過疎化の波が信仰の世界にも及んだ格好で
(中略)制度の違いや門徒の増減で差もあり、
深刻さを広げている。
週間新潮(2003年)8月7日号 抜粋
「上納金」払えぬと末寺に
訴えられた「お東さん」
上納金を払わないなら、ご子息の得度は認めかねる
?能登の和尚が、そんなヤクザまがいの本山の脅しに怒った。
(中略)「今から5年前に蓮如上人の五百回忌法要があって、いつもの懇志金とは別に、
約500万円の御依頼があったんです。
もちろんうちとしては精一杯頑張りましたが、
270万円が限度でした。
法要が無事終わり、
出せなかったものは仕方ないと思っていたところ、
不足分の約200万円を
翌年の御依頼額に上乗せして請求してきたんです」
まるでタチの悪い取り立てである。
お寺も親分子分のやくざの世界と同じような気がします。
明らかに強制で、拒否は認めない。
組織を抜けるなら、報復する、てな感じがする。
今後 上のお寺は その宗派に所属する限り 不利益
こうむる可能性あり。
目には見えていないが、そのような事が原因で、
収入確保しなくてはならないのではと思う。
小さい寺は、お金は通過するだけで、上に吸い上げられる。
言いたくても言えないのが小さな寺の現実と思う。
檀徒に負担かけない正直者が損するのだろう。
檀徒は今までが普通と思っても、住職の自腹とは思わない。
住職が耐えかねて、檀徒の負担多くすれば反発ある。
さあ どうしましょうと言う事の結果か。
投稿者 ぽち | 2006年11月22日 23:24
静岡の田舎の住職です。
いま、この書き込みをどなたが読んでくださるのか分からないけど、思いを書かせていただきます。
盆経は短いけれど、檀家さんの家を訪問し、それぞれのご仏壇や盆棚でのご回向、布施は感謝の気持ちですから、価格ではないし、高額を布施してくださる方もおられます。
和尚個人の小遣いや日当と思われると高いかも知れないが、今は法人に収入として記帳し、そこから給与をいただいているので、坊主丸儲けではないと自信を持って言えます。
わかりやすく言えば、高額なお布施をいくらいただいても、それはお寺としての収入で、給料は変わらないというのが私の寺のやり方です。百万円以上の収入があった月も、法事だけで数万の収入しかなかった月も、決められた額をいただくようにしています。ちなみに、収入の少ない以前は、住職は他の職業を兼務し、そちらからの収入に頼り、お寺からは給与がいただけない時期もあったのですよ。東北や過疎地では、そんなお寺がいくらでもあるのが現状です。
お葬儀のお布施が高いといわれるが、私はそれは個人のお寺やご本尊への帰依であり、ご本尊様との仏縁の持参金と説明しています。ある方が月に千円づつ貯めて、いつかお世話になるお寺やご本尊に対して積み立てをしたとします。その方が給料や自分の収入が五十年あったとします。いくらになりますか?¥12000x50=60万円ですよ。
換算の仕方が乱暴だと思われるでしょうが、五十万が単純に暴利を貪るものではないということを分かっていただければと思います。
私のご近所のお寺で、お父さんのご法事に百万包んできた施主があったそうです。それも、ありがとうございますという言葉を添えて…
住職はありがたく頂いたそうです。でも、一万円のお布施を包んできた方と同じ受け取り方をしたそうです。
この意味がおわかりになりますか?
投稿者 田舎の和尚 | 2009年3月 7日 09:38
ぽち様
詳細かつ具体的な提言をありがとうございました。
宗派は違うとはいえ、宗費の算定に携わってきた者としては、寺院の置かれている現状を常に心しておかなければならないと思います。公平な分担という中の「公平」っていうものの意味も主観的なものですから難しいですね。いつもこの辺りが論議されるところです。
根本的には歳出の削減が求められるということはいうまでもありません。歳出が半額になれば宗費負担は半額になるのですから。
田舎の和尚様
論理的かつ分かりやすいコメントありがとうございます。
>私のご近所のお寺で、お父さんのご法事に百万包んできた施主があったそうです。それも、ありがとうございますという言葉を添えて…
>住職はありがたく頂いたそうです。でも、一万円のお布施を包んできた方と同じ受け取り方をしたそうです。
ここに全てが凝縮されておりますね。
投稿者 kameno | 2009年3月 8日 09:06