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2021年3月11日
2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするM9.0︵観測史上国内最大︶の大地震が発生し、地震の揺れと最大30mにも達する大津波により広い範囲で甚大な被害となりました。
今日で震災から10年の日を迎えます。
現時点において、亡くなられた方は1万5900人、行方不明者2525人。全半壊した家屋は40万5161棟となっています。
また、原子力発電所の事故により、7市町村337km2にわたり現在も居住できない地域が残されています。
まずはお亡くなりになられた皆様に心より哀悼の意を表します。
当ブログでは、毎日の記録を記事として綴っています。
⇒ http://teishoin.net/blog/archives.html
あらためて10年前の記事を読み返してみると、当時のことが鮮明に思い返されます。
私は、宗務所の主事として10年前の3月10・11日と東京都港区の東京グランドホテル︵曹洞宗檀信徒会館︶で開催された実務担当者会議に出席しており、その会議日程が終わり、その後SOTO禅インターナショナルの役員会が始まったところで地震に遭いました。
周期の長いこれまでに経験したことのない大きな揺れとなり、第一波の揺れは机の下に潜り、揺れが収まった後、非難口となっている3階バルコニーの扉を開けると、隣のビルでは建物から出て歩道上に避難されている様子が目に飛び込んできました。
︵地震発生直後の東京グランドホテル前︶
鉄道はことごとく運休となっていて運転再開の見込みがないため、東京グランドホテル内、周囲の食堂でその日は過ごしました。
深夜になり、上半分の照明が消えてしまった東京タワーを眺めながら横浜方面に歩きはじめましたが、道路はいたるところで渋滞し、道路上の車はほとんど動かず交通マヒ状態の中、多くの人々が自宅に向けて粛々と無言で歩き続けている様子が印象に残っています。
翌日、貞昌院に戻ることができましたが、次々と入る被災地の情報に、その被害の大きさに改めて驚かされました。
当時のブログには、
﹁被災地から離れた場所からの支援としての基本として考えられることは﹂
︵1︶まずは災害で命を落とされた皆様に謹んで弔意を表し、被害が拡大しないことと復興を願い法要を営むこと、
︵2︶電力消費を可能な限り抑えること︵節電︶、
︵3︶そして金銭的な支援
と書いています。
その基本的な原則は、今も継続的に続けています。
そして、10年前の震災の記憶を風化させることのないよう、また、常に災害に対応できるよう日常の備えを怠りないよう心がけたいものです。