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2014年3月11日
東日本大震災発生︵地震発生時刻午後2時46分︶から3年目の日を迎えます。
災害によりお亡くなりになられた皆様に改めて弔意を表します。
未曾有の災害となった東日本大震災のような災害は、またいつ発生するかわかりません。
豊かな大自然に囲まれ、その恩恵を享受できる反面、時には私たちの到底及ばない大きな力をもって災害をもたらします。
先達は、過去に繰り返されてきた大震災をの経験や学んだことが、後世に伝えるべく様々な形として残されててきました。
石碑、古文書、街路や街区の形態・・・・・・
世代を越えてそれらを読み取っていくことは重要です。
そして、大災害を経験した私たちがするべき行動の一つは、災害の記録を整理し、確実に受け継がれるように次世代に残していくことです。
政府・国立国会図書館では、﹁大震災の記録を永遠に残し、広く学術関係者により科学的に分析し、その教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する﹂ことを目的として﹁国立国会図書館東日本大震災アーカイブ︵愛称‥ひなぎく︶﹂を平成25年3月から公開しています。
国立国会図書館東日本大震災アーカイブ:ひなぎく=クリックすると当該サイトに飛びます。
﹁ひなぎく﹂は、国や自治体などの公的機関やNPO・ボランティア関連の民間団体、報道機関といった国内外にわたる様々な団体と協力して、東日本大震災に関する資料を一元的に検索・閲覧できるポータルサイトです。
現在、27のデータベースから約248万件のコンテンツが検索可能となっており、被災地の復興支援や今後の防災・減災対策、学術研究や防災教育などへの活用が期待されます。
誰でも震災記録を投稿することができます。
多方面からの記録が寄せられ、記録に付随した詳細なタグ付けにより、防災・減災に寄与するデジタルアーカイブが構築されていきます。
震災に関する記録を﹁震災記録﹂とは次のように定義されます。
震災記録とは
調査報告書、復旧・復興計画書など
フリーペーパー、ミニコミ誌、チラシなど
イベント・セミナー・相談会等のチラシや資料など
各種活動記録︵ボランティア記録、避難所だよりなど︶
学校だより、会報、広報誌など
個人・団体が作成した文集・体験記・手記など
次世代に伝承し、いつか発生するであろう大災害の減災に寄与するデータベースとして構築されることを期待します。
阪神大震災や東日本大震災はもとより、日本各地で発生した災害では、地域に果たす寺院の役割というものが改めて見直されました。
昨年、仏教情報センター創立記念事業でご講演いただいた玄侑宗久師は、次のように指摘しています。
今回の東日本大震災では、被災地では、いろいろな宗教の連携が見られました。
きっかけは、仙台市の事例です。
仙台市は当時非常にきついことを言いました。
仙台市仏教会が、ご供養をしたいと仙台市に申し入れると、仏教会だけにそれを認める訳にはいかないと言います。
他の市町村ではそんなことは無かったのですが、仙台市では、あらゆる宗教と連合してくれないかと申し出があったのです。
そういったことがあり、結果的に宗教の連携が進みました。
お寺や神社、教会が避難所になったり、そこで共同生活が行なわれたりということがあちこちでありました。
それは今後の非常に大きな財産になるだろうと思います。
今回の体験で強く思ったことは、お寺、神社のコミュニティーのあり方は、実に古い日本人の共同作業の方法を残しているということです。
今ではどこでも○○部、○○課に分かれていますが、あの﹁部﹂は、奈良時代に朝鮮半島から部の民がやってきて、﹁機織部﹂が﹁服部﹂になるように、職能によって同じ場所に集まって、同じ部署に集まるというやり方が伝わったものです。
これは実に効率的な方法です。
実は、それまで日本人は、そのようなスタイルでは無かったのです。
部が入って来る前は、﹁伴︵とも︶﹂というスタイルでした。
これは一つの家庭のようなもので、いろんな人がいろんなことをするんです。
先日行った奄美大島ではそういう、古い日本のやりかたが残っていました。
空港に着くと女の人が迎えに来てくれていました。運転していただきホテルに着くと、背広の男性がご挨拶してくれました。
部屋に、お茶を持ってきてくれたのは先ほどの男性でした。後で聞くとその男性が社長で、島の見所をいろいろと説明してくれました。
夕食では料理長が料理のを説明してくれましたが、食後FAXをしようとフロントに行くと、そこには料理長しか居ない。
料理長にFAXを頼むのは・・・と思っていたら、当たり前のようにFAXを送ってくれました。
夜、マッサージを頼んだら、さっきまで空港から送ってくれた女性でした。
翌朝、奄美つむぎを見ようとしたら、また昨日のマッサージの女の人が説明してくれる。
詳しい突っ込んだ質問をすると、奥から呼ばれて来た男性が、社長だった。
では作っている現場に行ってみましょう、と行ってみると誰も居なかった。
今、サトウキビ収獲の最盛期なのでサトウキビ工場へ行っているということでした。
つまり、そういうことなんです。
この仕事の苦労をみんな知っている。だからみんな何でも手伝えるし、専門ということではないけれど、みんながみんなを手伝うんですね。
これは﹁和合﹂という観点からいうととても優れている方法です。
しかし、効率という観点から言うと﹁部﹂のやり方が優れています。
ですから、例えば今の郵便局は大変です。
集配業務をやっている人は、ずっと集配をやっています。
人間なのに、そんなに道具みたいに分けられて幸せに暮らせるのだろうかと思ってしまいます。
お寺や神社に集まった人は、今でも﹁伴﹂なんです。
だから、自分はこうだから、これはやらないということは無いですね。
なんでもかんでもみんなでやる。
うちの寺もそうですが、何かの職業の人が職業的な技術を提供くださったときには報酬を出します。
けれども、弁護士が雑巾を掛けてくれたといっても報酬は出ない。
お医者さんが歌を歌ってくれたといっても報酬は出ない。
だから、誰が何の専門だとかそういうことが、一旦チャラになって、みんなが何でもするという場所があちこちで震災後に出来ました。
お寺や神社で、日本の古い伴というやり方が復活しました。
郵政民営化も、民営化の中で仕事が細かく分かれ過ぎています。
なぜ集配の人が保険の勧誘をできないか、という反省からもう少し太くしようとしていますが、もう少し人の仕事って言うのは総合的であるべきだと思います。
そういう人の集い方が残っているのが神社仏閣なのだろうという気がします。
︵仏教情報センター記念大会講演録︵1︶より︶
日本の社会の仕組みというものは、永年に亘り自然環境が育んできた文化なのだと感じます。
﹁記録・記憶﹂を伝承するのも寺院の重要な役割であり、また﹁地域の核﹂として和合の精神を育くむことも重要な役割といえます。
仏教は﹁生死を歩む人の今に寄り添い、縁の力を最大限に生かし、その人の自己のいのち、人生を統合することを扶助する﹂ということを根源とします。
東日本大震災発生から3年を迎え、改めて考えてみたいものです。