今日、9月1日は防災の日です。
防災の日は、今から90年前の 1923年︵大正12年︶9月1日に発生したマグニチュード7.9の関東大震災にちなみ、1960年︵昭和35年︶に制定されました。
震災の記憶を薄れさせることなく、また、防災対策、防災訓練など、防災に関する行事の実施が行なわれるようになりました。
日本は地震が多く発生する地域にあり、関東大震災以降も数多くの地震に見舞われました。
特に阪神淡路大震災、東日本大震災は、その発生地点、時刻、時代の違いから、被害をもたらす要因が異なっています。
関東大震災=火災
阪神淡路大震災=建物の倒壊
東日本大震災=津波
によって、多くの人命が奪われました。
90年前の関東大震災、その惨禍から学ぶべきことはとにかく火災の発生を防ぐことです。
関東大震災発生時刻の午前11時58分は、多くの家庭で昼食の準備をしている時間帯であったため、あちこちから火災が発生しました。
さらに、強風という気象条件が重なり、火災は燃え広がり、次々と上がる炎が激しい上昇気流を生じさせ、炎渦巻く巨大な竜巻︵火災旋風︶が各所で見られたということです。
関東大震災による死者は約10万5000人とも言われ、その実に9割近くが焼死でした。
それでは、永野地区は地震発生当時、どのような状況だったのでしょうか。
貞昌院第28世住職の記録をご紹介します。
・過去を知ること=関東大震災
大正129年9月1日
関東大震災、午前11時58分、突如上下動の大激震、咄嗟に起り其の震動極めて峻烈、凄槍極る災厄をもたらし、許多の財宝と生霊とを烏有に帰せしめてしまった。当地域の約五割に及ぶ家産は全潰、殆んど残る家屋は半潰に近い。第一震後も約一分おき位いに余震が襲来し、生ける心地だに無い。その中にあって村民は一致協力、火災の発生防除に全力を尽くす。時恰も昼餉用意の最中、戸外避難の前に、火気の存する所には水をかけ、或は鉢などにて蔽い、当永野地区︵注‥横浜市港南区上永谷・野庭町︶からは全く火災を生ぜさせなかった。
正午を過ぎて間もなく、横浜市街地上空は黒煙濠々渦巻いて空高く立ち込め、物凄い光景が当地区から見られる。時折大爆音を耳にす。横浜港沖合に富士火山系に亀裂を生じ大噴火を成しつつありと流言が飛ぶ。後に、石油、ガスタンクの爆破と分る。
各所に山崩れ起り、道路埋没して交通途絶数ケ所生じたが、全村民総出動で土砂を切り開き、三日後には全箇所開通した。
九月二日正午近くより、刻一刻、戦慄すべき流言が宣伝され、村民挙げて戦々競々と、各小部落互に山の中に小屋を設け、老人婦女子は、まとまって、小屋にかくれ、青年、屈強な男子は、各要所要所の部署に就き、見張り、警戒の任に当たる。間もなく軍隊が到着し全村民安堵し、安き眠りに就くことを得た。
︵﹃永野郷土史﹄貞昌院28世 亀野源量大和尚による記録より一部抜粋︶
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永野地区では、約5割の全壊、そのほかは半壊に近い壊滅的な家屋被害がありました。
しかし、近隣住民が結束し、防火に努め、地区からは火災が発生しなかったということです。
地域力の大きさが良くわかります。
ただ、横浜市中心部では、石油タンクの爆発をはじめ、各所の火災により、北の空一面が真っ黒に渦巻いていたということなので、住民たちの心持は如何なるものだったのでしょうか。
想像を超える状況だったのかもしれません。
関東大震災からの提言も併記されておりますので、ご紹介いたします。
﹃永野郷土史﹄貞昌院29世亀野寛量大和による提言
大震災に付随して起る災害については、関東大震災の記録等から次の点が挙げられる。
1大火災の発生
2水道、電気、電話、道路、電車、汽車の通信交通は全面に途絶する。
3余震の継続
4伝染病の発生
5海嘯︵つなみ︶の襲来
6流言蜚語が横行する。
7食糧飲料水の不足
8失業者の続出
大要以上のようなことが震災に伴って波生することを覚悟せねばならない。都市造りに最も重要視しなければ ならないことは思いきった多くの空地、緑地を持つこと である。
︵﹃永野郷土史﹄より︶
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火災の発生を防ぐ地域力と、もう一つ、大きな要因として、建物を倒壊させないということが挙げられます。
日本では、大きな地震被害が発生すると、それに耐えうる建築基準がなされてきました。
建築基準法改正の履歴は、防災の履歴でもあります。
■主な震災と建築基準法の改正
1920年︵大正9年︶12月1日 ︵大正8年法律第37号︶施行
第12条において、﹁主務大臣ハ建築物ノ構造、設備又ハ敷地ニ関シ衛生上、保安上又ハ防空上必要ナル規定ヲ設クルコトヲ得﹂と規定される。
市街地建築物法施行規則︵大正9年内務省令第37号︶において、構造設計法として許容応力度設計法が採用され、自重と積載荷重による鉛直力にたいする構造強度を要求。
ただし、地震力に関する規定は設けられていない。
1923年︵大正12年︶ 関東大震災
1924年︵大正13年︶ 市街地建築物法施行規則改正
許容応力度設計において、材料の安全率を3倍とし、地震力は水平震度0.1を要求。
1950年︵昭和25年︶11月23日 市街地建築物法廃止、建築基準法施行︵旧耐震︶
具体的な耐震基準は建築基準法施行令︵昭和25年政令338号︶に規定された。
許容応力度設計における地震力を水平震度0.2に引き上げた。
1968年︵昭和43年︶ 十勝沖地震
1971年︵昭和46年︶6月17日 建築基準法施行令改正
Rc造の帯筋の基準を強化した。
1978年︵昭和53年︶ 宮城沖地震
1981年︵昭和56年︶6月1日 建築基準法施行令改正︵新耐震︶
一次設計、二次設計の概念が導入され、地震力に対しての必要壁倍率の改正
軸組の種類と壁倍率の改正が行われた。
1995年︵昭和7年︶ 宮城沖地震
2000年︵平成12年︶6月1日 建築基準法及び同施行令改正
性能規定の概念を導入、構造計算法として従来の許容応力度等計算に加え限界耐力計算法が認められる。
このように、大きな地震発生のたびに建築基準法が改正されてきたことがわかります。
したがって、自分の住んでいる住宅が、いつの時点で建てられたか︵どの建築基準法が適用されているか︶を知ることが、防災力を高める大きな要因になります。
是非確認いただきたい項目です。
もう一つ。
自分が住んでいる場所、職場、生活圏がどのような場所なのかを確認しておくことが大切です。
地方自治体から、地震や津波、傾斜地、盛土地、液状化危険度などさまざまなハザードマップが発行されています。
■自分の住んでいる場所の危険度を知る
︵横浜市地震被害想定による液状化ハザードマップの例︶
また、
自分の住んでいる場所が、過去どのような場所であったかを知るということから、地図で過去に遡って調べることも必要でしょう。
︵川、水田、池、沼、海岸を埋立てたり、谷を埋めて盛土をして造成をした場所は危険性が高い︶
・地盤が砂のように透水性が高く、地下水位が高い場所も危険性が高い。
そして、危険度の高い場所では、その発生原因について対策し、発生を抑える対策を取ることも必要でしょう。
﹁想定外﹂を少しでも減らすことが、命を守ることに直結しています。
どのような災害対策も、絶対確実、万能ということはありえないので、費用対効果を充分に検討した上で、どの程度費用をかけて、どの程度リスクを軽減するのかを検討することが大切です。
防災の日を契機に、皆で話し合ってみることをお勧めします。