仏教の世界観を表すことばに、﹁インドラの網﹂というのがあります。
インドラというのは、帝釈天(たいしゃくてん)のことです。帝釈天は﹁須弥山(しゅみせん)﹂という山の宮殿に住んでおり、屋根には蜘蛛(くも)の糸よりも細く透明で美しい網がかかっています。
その網目には様々な色に輝く宝石が結ばれていて、その無数の宝石は、それぞれがお互いに照らしあって輝いています。
ひとつひとつの宝石が、かけがえのない存在として、幾重(いくえ)にも関係しあっているのです。
この、ひとつひとつの宝石は、私たち一人ひとりの存在に置き換えられます。
しかし、宝石は、時には曇ってしまい、光が薄れてしまうことがあります。そんな時は、その宝石だけではなく、周りの光も鈍くなってしまいます。
逆に、一点の曇りもない綺麗なこころの宝石は、周囲に明るく光を放ち、宝石たちはお互いにキラキラと照らしあって、よりいっそう輝きを増していきます。そして、その光はまた反射して跳ね返り、再び自分を照らす光になります。
あなたも掛け替えの無い宝石です。
そうです。あなたが輝けば、世界も輝くのです。
テレビ朝日系列﹃やじうまテレビ!﹄きょうの説法より
インドラ=帝釈天は、インドのヴェーダ神話の神が仏教に取り入れられたもとされ、仏法を護る神です。帝釈天が住む宮殿の屋根には美しい網がかかっています。
インドラの網は、この世の地球上のすべての生きとし生けるものが、すべて繋がりあって、照らしあって構成されているという、仏教の﹁縁起﹂の関係を喩えています。
あらゆる存在は網目の宝石の一つ一つであって、一つ一つの宝石があるからこそ、網全体が成り立っています。
どんな存在でも、自分だけで存在しているものはないし、どんな存在でも、他との関わり合いの中でしか存在しないのです。
そして、一人ひとりが﹁この世を照らす﹂尊い存在であることを忘れてはなりません。
私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂︽てんちょう︾から四方の青白い天末︽てんまつ︾までいちめんはられたインドラのスペクトル製︽せい︾の網、その繊維︽せんい︾は蜘蛛︽くも︾のより細く、その組織︽そしき︾は菌糸︽きんし︾より緻密︽ちみつ︾に、透明︽とうめい︾清澄︽せいちょう︾で黄金でまた青く幾億︽いくおく︾互︽たがい︾に交錯︽こうさく︾し光って顫︽ふる︾えて燃えました。
﹃インドラの網﹄︵宮沢賢治・角川文庫,1996・青空文庫︶より
なお、帝釈天、特に
東寺の国宝・帝釈天は私が好きな仏さまの一つです。とても”イケメン”の仏さまです。