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2010年8月15日
実に この世においては およそ怨みに報いるに怨みを以ってせば ついに怨みのやむことがない。
堪え忍ぶことによって 怨みはやむ。これは永遠の真理である。
怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は 怨みのないことによって静まるであろう。
怨みにつれて次々と現れることは ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は 怨みをつくらない。
﹃ブッダの真理のことば 感興のことば﹄︵中村元訳・岩波文庫)
釈尊のことばを伝える経典﹃ダンマパダ︵法句経︶﹄にある一句です。
終戦の日を迎え、この釈尊のことばが改めて心に沁みます。
句中の﹁ウラミ﹂という言葉には﹁怨み/恨み﹂両方の漢字が当てられます。
不平不満への﹁恨み﹂と違って、﹁怨み﹂には更に強く激しい人に対する感情が籠められています。
もしも戦いによって勝者には驕りが、敗者には怨みがもたらされるとすれば、そこからの離脱はかなり困難です。 戦後65年経った今でも完全なる解決がなされていないことからも判ります。
また、世界の恒久平和が人類共通の願いであっても、その共通であるはずの同じ目的を達することが如何に難しいかは、戦後65年間の間に世界各地でどれ程の戦争、紛争が起こっているかということを見ても明白です。
近代国家の多くは、巨大な軍事力を誇示することによって自らの安全を確保しています。
そして、自らの国・民族・宗教の安全を守り自らの平和を守るという大義名分の下、戦争、紛争が繰り返されてきました。
敵対を生み出す源は、自己中心のエゴイズムに他なりません。
私たちが自己中心的なエゴイズムを他人に押し付けるのと同じように、国家間、民族間でも自国・同胞の都合によって敵と味方という区別を作り出しているともいえます。
それゆえ、自国中心の国家エゴイズムから脱却すること無しに平和の実現は不可能でしょうし、ひいては自らの安全を守ることも出来ないでしょう。
戦後の日本は、確かに様々な問題を孕んいることは否めませんが、65年に亘り戦争、紛争を引き起こすことの無かった数少ない国です。 この事実は大きな意味を持ちます。 誇るべき事実です。
65年目の終戦の日にこそ釈尊の教えを改めて噛み締めたいものです。
日本では終戦の日となる今日は、大韓民国では光復節、朝鮮民主主義人民共和国では解放記念日でもあります。
戦渦により犠牲になったすべての方々に心より哀悼の意を表します。
zazen256様
子どもたちは宝であり、次世代をいかに育てるかは教育に掛かっていますね。学校でも家庭でも「教師」を自然に尊敬できる環境を育みたいものです。
投稿者 kameno | 2010年8月17日 08:27